今週のみことば


7月3日


「求めよ、そうすれば与えられるであろう
捜せ、そうすれば見出すであろう
門をたたけ、そうすればあけてもらえるであろう
すべて求める者は得、捜す者は見出し
門をたたく者はあけてもらえるからである」
(マタイによる福音書7章7-8節)

「狭い門からはいれ
滅びにいたる門は大きく、その道は広い
そして、そこからはいって行く者が多い
命にいたる門は狭く、その道は狭い
そして、それを見出す者が少ない」
(同章13-14節)


人生は、その終わりになってみて
はじめてそれがどのようなものであったかがわかるものです
こうすればきっと得になる
そう信じて歩んできたことが本当に正しく、良い事だったのかどうか・・

神の救いを求め、その道をさがし
門をたたく=神に対して祈っていくことは
本来人間に課された生き方の基本です
人間は神に従って生きていくように作られているので
自然とそういう方向に進んでいけたら幸いなのですが
この世には惑わしが多く
むしろ滅びにいたる道の方が魅力的で入りやすくなっています

多くの人は
神に祈り求める時
望んだものと違う形のものが与えられると
祈りが聞き届けられなかったかのように思いがちであるものの
その後の証まで見届けるならば
神は必ず求める者に幸いを与えてくださることがわかるでしょう

聖書には幸せになる秘訣が書かれていると思って読んでみても
「神にある分別」がなければ
その意味はなかなか理解できません
聖書に書かれた字だけを追い、言葉だけを覚え
「わたしは知っている」と思う時
その先に何を教えられていくでしょうか

「神にある分別」とは
神の前に謙虚であること
聖書のみことばに対しても「わたしは知っている」ではなく
そこから人間としての本当の生き方が導かれないなら
読む意味はなくなってしまいます

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは
皆キリストを着たのである」
(ガラテヤ人への手紙3章27節)


洗礼を受けたわたしたちは
何のために「キリストを着た者」とされたのでしょう
それは
続く5章1節に記されたように
「自由を得させるため」でした

お金のない人は
しばしばお金に束縛されて生きています
しかし、あらゆる束縛からわたしたちを解放して
自由の身としてくださる神は
心が豊かであるという意味を教え
お金がなければ不幸なのだという考え方から離れて
正しい方向に歩むように導いてくださいます

ところが
世の中には常にお金の誘惑が付きまといます
お金に頼ったほうが楽で
その方が正しいかのようにも思えるものです
こうして大半の人は
楽に思える道=滅びにいたる道へ歩もうとしてしまう

それはいったん自由の身になったはずのわたしたちであっても例外ではなく
ガラテヤ人への手紙5章1節は
「自由を得させるために
キリストはわたしたちを解放してくださったのである
だから、堅く立って
二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」

と戒めているのです

心の中にどんなすきま風が吹いてくるかわかりませんが
それに動じない信仰をもって
常に正しい道を見出していきましょう

「そこでイエスは人々にむかって言われた
『狭い戸口からはいるように務めなさい
事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから』」
(ルカによる福音書13章24節)


あの問題この問題と
わたしたちにとっての試練は尽きませんが
必要なものは必ず与えてくださる神がついておられることを信じて
後ろをふり返ることなく
進んでいきたいものです



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