今週のみことば


7月17日


「『これはイスラエルが、先祖たちの守ったように
主の道を守ってそれに歩むかどうかをわたしが試みるためである』
それゆえ主はこれらの国民を急いで追い払わずに残しておいて
ヨシュアの手に渡されなかったのである」
(士師記2章2-23節)


出エジプトからカナンの地における戦いに至るまで
イスラエルの民は常に神の助けを得ながらも
しばしば神の契約を犯し命令に従いませんでした
そのため
神はカナンの地の民をことごとく追い払うことをせず
彼らを残すことでイスラエルを試みたのです

困った時には神を頼りつつも
それが過ぎれば感謝も忘れ
自分が今こうして生きて平穏に暮らしていることも
当たり前に思ってしまうのが人の常
ところが、いざそこに問題が生ずれば
その人の心がどこにあるのかがわかります

どんな状況下に置かれていても
心が豊かな人もあれば、そうでない人もある
運命、つまり神が定めた道を受け入れ
自分がそこでどう生きるべきなのか教えられる人は
神から与えられる知恵と力で養われるでしょう

食べ物のない荒野で天から毎日マナが降ってきて養われるなど
イスラエルの民は誰も想像していなかったはずです
このように
神に導かれて(教えられて)歩むというのは
頭で想像するようなものではなく
一人一人にいつの間にかレールが敷かれていて
そこを歩まされているというようなもの
そしてその道は必ず幸いへとつながっていくものです

「あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず
あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない
あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み
また牛や羊が増え、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき
おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう
主はあなたがたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し
あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野
すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り
あなたのために堅い岩から水を出し
先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた
それはあなたを苦しめ、あなたを試みて
ついにはあなたをさいわいにするためであった
あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きでわたしはこの富を得た』
と言ってはならない
あなたはあなたの神、主を覚えなければならない
主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために
あなたに富を得る力を与えられるからである」
(申命記8章11-18節)


神の救いを受けている人は
聖霊の働きによって、神の力を感じることができるはずです
自分が常に神の力によって支えられ助けられていることを知っていれば
傲慢になることはありません
ですから
神の力を感じることに敏感であるように
感性を研ぎ澄ましていく必要があるのです

自分が「恵まれている」のかどうかは
神の力や助けを感じているかどうかにかかっていて
冷静に考えれば本人にはわかるはずですから
自らを省みてその心に問うてみましょう

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず
むしろ悲しいものと思われる
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に
平安な義の実を結ばせるようになる」
(ヘブル人への手紙12章11節)


天から降ってきたマナは
それだけで人を養うことができる完全食でした
そのように
神が与えるものは完全で、幸いなものです
神にあって(神を信じて)生きる時
何が起こり、自分がどうなっていくのかは予想もつきませんが
人知を超えたものがそこにはあることを信じて
祈ってその道に従っていきましょう

「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は
しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ
不動のものとして下さるであろう」
(ペテロの第一の手紙5章10節)





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