今週のみことば


9月25日


「ヤコブは言った『まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい』
エサウは言った
『わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう』
ヤコブはまた言った
『まずわたしに誓いなさい』
彼は誓って長子の特権をヤコブに売った
そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので
彼は飲み食いして立ち去った
このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた」
(創世記25章31-34節)

長子の特権は神から与えられたもので
長子は父親より特別の祝福を受け継ぐ者とされていました
ところが長男エサウは長子の特権を軽く考えて
たちまちの空腹感を満たすためだけに大切な特権を売る約束をしてしまいます
そして後の日になってそれは現実となり
すべての祝福は次男ヤコブに与えられ
エサウはどんなに悔いてもそれを取り戻すことはできないのでした

せっかく神から与えられた祝福の約束を
目の前の楽しみと引き換えにしてしまうエサウ
大切なことは父から教えられて知っていたはずですが
いざとなった時には欲の方を優先してしまったその浅はかな行動は
彼の生涯を変えてしまいました

「また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように
不品行な俗悪な者にならないようにしなさい
あなたがたの知っているように
彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども
悔い改めの機会を得なかったのである」
(ヘブル人への手紙12章16-17節)


”祝福”とは目に見えないものですが
長い人生の間にはその価値がよくわかるようになり
神の恵みの重みも明らかになります
今たちまちは何が祝福なのかよくわからなくても
神の恵みをしっかりつかんでいくために
聞くべきところは正しく聞いて
神に従う心=良心を守り育てていくことが大切です

「ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った」
(テモテへの第一の手紙1章19節)


エサウにとっての長子の特権は
持っている間はたちまち役に立つものではありません
しかしそれが後には大きな祝福の元になることに彼は気づかなかった

わたしたちの信仰生活にあっても
神の祝福が眼中になく
今さえ良ければ・・という考えを持っていたのでは
(ただ目先の欲や名誉のために信仰しているのだとすれば)
先の人生は幸いなものとはならないでしょう

「神の御旨を行って約束のものを受けるため
あなたがたに必要なのは忍耐である」
(ヘブル人への手紙10章36節)


今のことだけを見て、その場かぎりの選択をするエサウと
先の先を見た動きをするヤコブ
そして、結果的に長子の特権を受け継いだヤコブであっても
彼が本当に幸いな状態に落ち着くまでには長い忍耐の年月を要しました

人生は
”わたしはこうなるべき者”との理想通りには進まないものです
信仰生活にあっては
聖書のみことばを通して
間違った固定観念でガチガチになった頭をほぐしてもらう必要があります
そのための礼拝は毎週ありますが
今日の礼拝は今日限りのもの
今という一瞬は今だけのもので
次の瞬間には過去になって流れ去っていくものです
そして、その今という瞬間、今日というチャンスを生かすも生かさないも
その選択は個々に任せられたものです

人はしばしば身近にある小さな幸せに気づいていないので
自分が置かれた場所よりももっと別のところに幸せを見つけようとしますが
そこは神から与えられた場所、恵まれるところです
それに気づかず大切にしないのは本当にもったいないこと

物事が上手くいかない時には
まず「どうしてだろうか」と原因を考えるものです
そして、”考える”から”省みる”ことが必要で
自分ではそんなはずはないと思っても
間違ったことをやりながら
それを省みることもしていないだけかもしれません

本当の祝福の基準がどこにあるのかをもう一度考えつつ
神のみことばに耳を傾けて
新しい週も心新たに踏み出していきましょう



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