今週のみことば


10月22日


「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする
その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて
いなくなった一匹を見つけるまではさがし歩かないであろうか
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め
『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』
と言うであろう
よく聞きなさい、それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら
悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きい喜びが
天にあるであろう」
(ルカによる福音書15章4-7節)


「ある人に、ふたりの息子があった
ところが、弟が父親に言った
『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』
そこで、父はその身代をふたりに分けてやった
それから幾日もたたないうちに、弟は自分の物を全部とりまとめて遠い所へ行き
そこで放蕩に身を持ち崩して財産を使い果たした
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので
彼は食べることにも窮しはじめた
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが
その人は彼を畑にやって豚を飼わせた
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが
何もくれる人はなかった
そこで彼は本心に立ち返って言った
『父のところには食物のあり余っている雇人が大勢いるのに
わたしはここで飢えて死のうとしている
立って、父のところへ帰って、こう言おう
父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても、罪を犯しました
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません
どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』
そこで立って、父のところへ出かけた
まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り
その首をだいて接吻した」
(ルカによる福音書15章11-20節)

その後、父は悔い改めた息子を喜んで迎え
使用人としてではなく、自分の息子のまま受け入れていくのです
それは、父にとってその息子は一度死んだ者であり
その死んでいた者が生き返ったのですから
彼はそれを心から喜び、祝いの宴をもうけたのでした

ところが、それを知った兄は面白くありません
放蕩に身を持ち崩した弟に対する父の対応が理解できなかったからです
自分はこれまで父の元でまじめに働いてきたというのに
こんな待遇は受けたためしがない
しかし、そんな兄に父は言うのでした
『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし
またわたしのものは全部あなたのものだ
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り
いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然である』

兄はすでに恵まれたところにいるにも関わらず
それに気づいていません
父の元で守られ、将来も約束されているというのに

一方、弟は、一度は大きな落とし穴に落ちましたが
自分の間違いに気づき、悔い改め
父の元に帰ることを選択したので、穴から出ることが出来ました

父は神のひな形です
人生はなかなか思うようにいかないものですが
ふと我に返り、神に立ち返っていくならば
さまざまな戦いに勝利することが出来るのです

のぼせたり、自暴自棄になったり、絶望したりと
移り変わる心模様を落ち着けるのも神によるもの
物事が上手くいかなければ
自分は神から見放されているように思うこともありますが
求める人、悔い改める人のことを決して捨てる神ではなく
我に返って信仰に立とうとする人を喜んでくださる神なのです

父は、出て行った息子を自分からさがしにいくこともできたでしょうが
それはしていません
ただ、彼が自分で帰ってくるのを待っていたのです
わたしたちも自ら心を開いて神に立ち返るべきこと
心を開いて神に近づけば
更に走りよって下さる神であることを知り
また
最低の状況まで陥った息子に父が最上の着物を着せ、指輪を与えたように
わたしたちがどのような状況に陥っても
最高の装いと、天国を継ぐ約束が与えられ
地上の戦いの中にも
神の助けを得て生きる恵みも、チャンスも
必ず与えられることを信じていきましょう

大切なのは、常に”救いのある場所”にいることです
その場所を離れ、大金を持って出て行った息子は
やがて何もかもなくしてしまいました
お金では幸せを買うことはできなかったのです

「どのしもべでも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである
あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」
(ルカによる福音書16章13節)


聖書には、さまざまなたとえでもって
わたしたちの進むべき道が示されています
また、大切なことは模範が記され
そこに従っていけばいいようになっているのです

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように
わたしは手本を示したのだ」
(ヨハネによる福音書13章15節)

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである」
(ペテロへの第一の手紙2章21節)


人生は、途中がどうあれ、最後をもって判断されるものではありますが
神にあれば、その初めも、終わりも、真ん中も
すべてにわたって守られていくものです

放蕩に身を持ちくずした弟のように歩むことも
心の狭い兄のようになることも
どちらもそのままでは幸せからは遠い
ならば、どうあることが幸いなのか
神を知恵を得て、世の中を平安のうちに渡っていきたいものです



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