今週のみことば


11月5日


「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して
イエスはまたこの譬(たとえ)をお話になった
『ふたりの人が祈るために宮に上った
そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った
”神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく
また、この取税人のような人間でもないことを感謝します
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています”
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで
胸を打ちながら言った
”神様、罪人のわたしをおゆるしください”と
あなたがたに言っておく
神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって
あのパリサイ人ではなかった
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう』」
(ルカによる福音書18章9-14 節)


信仰生活で重要なのは
いかに神の御旨を把握し、それに従っていくかであって
神の前にいかに歩むのかがいつも見られています
それは決して上辺のことを言っているのではなく
その心のうちが問われているのですが
パリサイ人は常に上辺しか見ていません
彼らが求めるのは自分の誇りであり
他人の落ち度を責め、自分が優越感にひたることに熱心です

一方、取税人の方は
自らの行いを恥じ、神の前にただ悔いて祈りました
取税人といえど、彼なりに言い分はあったと思われますが
彼はここで自らを弁護することなく
愚かな者として救いを求めたので
その心からの思いが神に受け入れられたのです

信仰者といえど、人は誰でも弱いところがあって
「こんな人が信仰者か?!」と
人から揶揄される立場や状況にあっても
それを本当の自分として受け入れていく時に
その心は真に神の救いを求め
そのまっすぐな思いが神に受け入れられるのです

「そして、わたしの肉体にはあなたがたにとって試練となるものがあったのに
それを卑しめもせず、またきらいもせず
かえってわたしを、神の使いかキリスト・イエスかでもあるように迎えてくれた」
(ガラテヤ人への手紙4章14節)


パウロにとって目が悪いことは、伝道者として大きなハンディでしたが
彼がハンディを受け入れつつ堂々と福音をのべ伝える時に
人々は彼を信頼し、熱心に支えてくれたので
それがどれほど意外で、嬉しいことであったかがここで語られています

実際に、弱いところを持った人は
その弱さのゆえに人から受け入れられないのではないかと
どうしても上辺で判断しがちになるでしょう
ところが、神に祈り求めていく人の人生にあっては
その人の弱さは単なる弱さとはならず
弱さゆえに自分が低くなるほど、神はその人を高くしてくださるのです

取税人が、自分を愚かな者として神に救いを求めたように
自分のおかれた状況を受け入れて
考え方においても、行いにおいても
自分の間違いに気づき、正していくこと
それは自分自身にこの福音を伝道することでもあります

ところが、愚かな人は信仰生活を人と比較しようとし
神の言葉によって教えられるよりも
自分を義とし、他者を裁くことで
何か自分が信仰の高みにあるように勘違いしてしまうのです

「世には自分の目にみずから清い者として
なおその汚れを洗われないものがある」
(箴言30章12節)


このパリサイ人のような
悔い改めることも教えられることもない信仰生活には成長がありません
彼らが熱心になるのは己を誇ることであって
それこそ、自らを神の上に置こうとするもの
土から造られた人間が創造主に向かって誇るとは
何と愚かなことでしょうか

このように
自らを高くする人は自分を見失い
自らを低くする人は自分の本当の姿を知って
いよいよ神の前に謙遜になってしたがっていくので
その信仰も神によって堅くされていく
ここが人生の分かれ道であり
幸いな道が開ける秘訣となるのです

「人の高ぶりはその人を低くし
心にへりくだる者は誉を得る」
(箴言29章23節)


「主の前にへりくだれ
そうすれば主は、あなたがたを高くして下さるであろう」
(ヤコブの手紙4章10節)


「だからあなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい
時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから
自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」
(ペテロの第一の手紙5章6-7節)

大切なのは
自分にせよ相手にせよ、本当の姿を見極めることです
自らを過信し、リーダーになろうとするよりも
良き模範となる人は自然と人から選ばれていくもの

各々おかれた立場にあって
自分のすべきことを黙々とこなしていきながら
神より多くを教えられ、成長する日々でありますように
人生は一生勉強
信仰もまた然りです

「事の帰する所は、すべて言われた
すなわち、神を恐れ、その命令を守れ
これはすべての人の本分である」
(伝道の書12章13節




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