今週のみことば


1月15日


「この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない
ユダおよびエルサレムよ、あなたがたは進み出て立ち
あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい
恐れてはならない
おののいてはならない
あす、彼らの所に攻めて行きなさい
主はあなたがたと共におられるからである」
(歴代志下20章17節)

敵の大軍に囲まれたヨシャパテ王は
なすすべがなく、ただ神に助けを求めて祈りました
「われわれはこのように攻めてくる大軍にあたる力がなく
またいかになすべきかを知りません
ただあなたを仰ぎ望むのみです」(12節)


そこで預言者に与えられた神の言葉は
”彼らの所に攻めて行きなさい”というもの
勝ち目などとてもないところへ行きなさいというのです

経験のないことに対して、人は非常に不安感が強く
踏み出すことも難しくなります
だからといって、神の言葉を聞かず
自分の考えでやっていくならますます苦しくなるばかりです

ヨシャパテ王に迷う余地はなく
ただ神を信じ
神の言葉に従って翌朝早く出て行ったところ
敵は互いに同士討ちをして滅んでしまったのでした

ここのみことば
いざという時わたしたちが信仰をもって踏み出すために
思い出すべくよく開かれるところです

わたしたちにとって本当の望みとなる方はどなたなのでしょうか
その方は、どのような方で
何をしてくださる(何ができる)のでしょうか

人は、人を自分の量りで量るように
神をも量っていきます
「どうせ祈っても何もならないだろう」
「神さまなんていないんじゃないか」と侮り
一方では人を頼りとしてその顔色をうかがい
そのために前へも進めず
結局右往左往する

しかし、目を上げて
この神は天地を創造した神なのだと
その心に大きな神の存在を持っているなら
今、こうして自分があるのは
確かに自分の努力によって得たものもあるでしょうが
自分の力がすべてではなく
神の助けで活かされてきたのだと気づくでしょう

すべての業は
自分の面子(誇り)ではなく
神の名を誇ることで成就します
列王記下5章に出てくるスリア王の軍勢の長ナアマンも
自らのらい病が癒されるためにエリシャのもとに来た際
ヨルダン川で身を7回洗えと言われて怒って帰ろうとしましたが
家来の勧めで考え直し
自分の面子を捨て
神を信じてその言葉に従ったことで
その身は速やかに癒されていきました

どんなことも神から起こり
結末も神による
だからわたしたちはヨシャパテ王のように
神を信じて恐れずに進むのです

そのためにも
自分はこうあるべきと思う理想の姿にこだわらないようにしましょう
こだわっていては前へは進めません

みことばは
そのまま受け入れて従うところに幸いがありますが
従わなければただの言葉になってしまいます
同じ聖書を読んでも
人によってその受け止め方は異なりますから
ある人はそれで教えられ、助けられ、救われる一方で
ある人はそこに希望を見出すこともなく過ぎ去っていくのです

たったひとつのボタンのかけちがいのようなところから
人生は大きく変わっていきます
その踏み出す一歩を間違えないように
神を信じ、みことばに従い
今の自分にできる最善を尽くして
それぞれに与えられた日々の務めを果たしていきましょう

信仰者に必要なのは
難しい理屈ではなく
いざという時、本当に神を心から求める信仰です

この世には悩みが多く、戦いは尽きませんが
窮地にあって、ただ神を仰ぎ望んだヨシャパテ王のように
その心が神に向いているならば必ず助けはあると
信じて進み出したいものです



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