今週のみことば
2月19日
「そのとき主はモーセに言われた
『見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう
民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない
こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう
六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると
それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう』」
(出エジプト記16章4-5節)
モーセに率いられ、紅海を渡る奇跡を体験したイスラエルの民は
シュルの荒野に入り、3日間歩いても水を得ることなく
たどり着いたメラの水は苦くて飲むことができなかったので
モーセに文句を言って詰め寄ります
そこでモーセは神から命じられたとおり一本の木を水に投げ入れると
水は甘く飲めるようになりました
その後、エジプトを出て2ヶ月目にはシンの荒野まできましたが
そこでイスラエルの民はモーセとアロンに向かって
肉がない、パンがないとつぶやきます
『あなたがたはわれわれをこの荒野に導き出して
全会衆を餓死させようとしている』と
そこで神より
天よりのパン「マナ」を与える約束がなされますが
その与え方にはルールが設けられ
それに従うかどうかが試みられたのです
そのルールをきちんと守ってマナを集めた人にとっては
マナは日々の糧として余ることなく不足することもなく
ちょうど良い量となってその人を養う一方で
ルールを無視した人には
腐ってしまったり、足らなかったりといった問題が起きました
かつて紅海での奇跡を体験しながらも
その後入ったシュルの荒野での試練において
イスラエルの民は神を信頼してはいませんでしたから
まず出てきたのは祈りではなく、つぶやきの言葉です
どんなに大きな奇跡を体験しても
それがそのまま信仰につながるわけではなく
次に問題が起これば
信仰を持たない人はまたパニックに陥ってしまいます
毎日1オメルずつのマナを集めることは
日々神に従っていく訓練であり
地道な信仰の積み重ねを意味するものです
当分心配しないですむように先の分まで貯めておけたら
人間的には安心感が得られるというものですが
そういう目に見えるもので安心感を得るのではなく
神に寄り頼むことで安心感を得るように
わたしたちは心を切り替えなくてはならないわけです
イスラエルの民は窮地に陥るたびに
つぶやくことで神の恵みを得ていました
しかし
それではいつまでも同じ問題の中でさまよい続けることになる
本来は
神に祈ることによって、恵みは与えられるのです
祈りとつぶやきは紙一重ですが
何度も同じところでつまづかないように
祈り(信仰)によって問題を乗り越えていくように
信仰は成長しなくてはなりません
どんな人の人生にも少なからず問題はありますから
つぶやきの材料は常に誰の中にもあります
それでも
つぶやきが感謝に変われば
その先はみな感謝につながっていきます
シュルの荒野、シンの荒野と
次々出てくる試練を
ただ辛いだけのところと思うか
そこを神の業があらわれるところと考えるかによって
その人の人生は随分違ったものになっていくのです
ところが
信仰心とは逆の猜疑心があると
それは恐怖心をよび
人の心は穏やかではいられません
出エジプトし、カナンの地をめざす長い旅の間には
民の中でも名のある人々が惑わされることによって
他の人々が影響を受け
罪を犯してしまうことがありました
神の言葉を見失い
あの人が言うのだから・・と
人を見て心を動かされていたのでは
信仰の道から外れてしまいます
強い人からしつこく攻められれば
人の心は揺らいでいくものですが
惑わされた時も、単純にそれにのっていかないように
自分はどういう立ち位置にあるべきなのかを
冷静に見極めていきましょう
この信仰の世界にあって
真理(神)は不動で、道しるべ(聖書)は不変です
ですから、信仰も本来ふらふらしないものですが
どうしても手っ取り早く楽になる道をのぞむがあまり
ただ試練が過ぎ去ることで満足し
そこに神の業を見ても
感謝に結びつかないのが問題なのです
わたしたちが神と共にあるということは
荒野においてイスラエルの民が水も食料も平安も与えられたように
どんな状況にあっても
満たされた人生を送ることができるということです
この世の中で生きていくにあたり
わたしたちは、人につくのではなく
神につく者としての立場をはっきりさせるべきです
そのためにも
ひとつひとつの神の助けを得た経験を大切にし
次の問題においても
その経験を生かしていくことができますように
人を恐れず
神を畏れて
各々の生活においても満たされた日々を送っていきましょう
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