今週のみことば
2月26日
「あなたはあなたの神、主の聖なる民である
あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで
自分の宝の民とされた
主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは
あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない
あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった
ただ主があなたがたを愛し
またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして
主は強い手をもってあなたがたを導き出し
奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである
それゆえあなたがたは知らなければならない
あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして
彼を愛し、その命令を守る者には
契約を守り、恵みを施して千代に及び
また彼を憎む者には
めいめいに報いて滅ぼされることを
主は自分を憎む者には猶予することなく
めいめいに報いられる
それゆえ、きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてとを守って
これを行わなければならない」
(申命記7章6-11節)
イスラエルの民が、神の聖なる民として選ばれ
エジプトにおける奴隷の生活から引き出されて
カナンの地へと進んでいったように
異邦人であるわたしたちも
洗礼と聖霊による救いを受け
今この世の中にあって天国を見出すべく
日々の信仰生活を送っています
かつて、どの国民よりも最も数が少なかったイスラエルが選ばれたのと同様に
わたしたちもまた、自分の力によらず
神の憐れみによって救われたのです
そんなわたしたちにとってなすべきことは
”神を愛し、その命令を守ること”
「あなたがたが行って取ろうとする地は
あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない
あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき
足でそれに水を注いだ
しかし、あなたがたが渡って行って取る地は
山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている
その地は、あなたの神、主が顧みられる所で
年の始めから年の終りまで
あなたの神、主の目が常にその上にある」
(申命記11章10-12節)
神によって救われたといっても
その先に待っている生活は
一般的に世の中で憧れるような華やかなものと違って
見かけは地味で苦労も多そうですが
実際そこで踏み出してみると
そこには天よりの雨水(神の恵み)が降り注ぎ
常に神の助けがあることがわかります
しかし、先のことは誰にもわからないので
人はどうしてもこれからどうなっていくのかと不安になるものです
しかし
神は、これまで人の知らなかったような方法で助けを与えられますから
どんな状況下にあっても
神を信頼し助けをのぞんで祈っていく人には
各々に必要な証がなされていくのです
かくしてイスラエルの民は
神の助けによってその数は増えまし
やがてひとつの国としての形ができ
ダビデやソロモンの時代にかけて大いに繁栄し
国としても円熟していきました
ところが
ソロモンの2人の子どもたちの時代になると国は分裂し
やがて衰退の一途をたどり
その後、国は滅びて行くのです
もし、国が正しい方向に進んでいたならば
衰退することも消滅することもなかったでしょう
そこにあった間違いの元は
他の神々を礼拝することにありました
申命記7章においては
カナンの地に入るに際して
そこにいる民をことごとく滅ぼし、
決して彼らと婚姻などの結びつきをもってはならないと命じられていますが
実際にイスラエルの民はその命令に忠実に従えませんでした
そのため
彼らの周りには常に他の神々を崇める存在があり
彼らもまた少なからずその影響を受けていくのです
わたしたちの信仰生活にあっても
救われた救われたといいつつ
実はその生き方の価値観をなお昔のまま引きずっているならば
その感覚がつまづきとなって
いつまでも苦しさから開放されることがありません
この世の中においては
あれがないから不幸、これがないからダメと
ないものねだりをし
毎日をつまらなく考える生き方が主流ですから
どうしても、お金やモノや名誉を重要視し
それによって人心を満足させようとあくせくしがちになります
わたしたちはみな、こういった世の中で暮らしつつも
この価値観から抜け出して
自分に与えられた恵みを喜ぶ生き方に変えられていくように
信仰生活をなしているわけです
ですから
決して義務で信仰するのではなく
神の恵みを味わいながらの信仰生活であるように
ひとつひとつの恵みに対して感謝を忘れることのないように
気をつけていきましょう
実際、神の恵みを感じないなら感謝もなく
感謝のないところには信仰も育ちません
出エジプト〜カナンの地平定への長い道のりは
神に対する良心が問われる日々でした
それはわたしたちの人生においても同じです
「あなたは心のうちに
『自分の力と自分の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない
あなたはあなたの神、主を覚えなければならない
主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために
あなたに富を得る力を与えられるからである」
(申命記8章17-18節)
物事が上手くいくと
人は感謝を忘れ、自分の力を過信するようになります
その力がどこから与えられたものなのかを
いつまでも忘れずにいられたら
そのままずっと神の恵みのうちに人生を送ることができるわけですが
ただあやふやに毎日を過ごしていたのでは
感謝の気持ちもそのまま薄らいでいくでしょう
だからこそ
礼拝を通して、みことばを通して
今の自分があるのは神によるものであるとはっきりと再認識し
心新たに日々の歩みを整えられていかなくてはならないのです
わたしたちにとっては
救いを受けたその時が、神と共にある歩みの始まりです
小さく、弱い者がわざわざ選ばれ
こうして日々を生きる力が与えられていることに感謝し
新しい一週間を踏み出していきましょう
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