今週のみことば


3月26日


「ふたりの人がまだ寝ないうちに、ラハブは屋上にのぼって彼らの所に来た
そして彼らに言った
『主がこの地をあなたがたに賜わったこと
わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること
そしてこの地の民が皆あなたがたの前に震えおののいていることを
わたしは知っています
あなたがたがエジプトから出てこられた時
主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと
およびあなたがたが
ヨルダンの向こう側に居たアモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと
すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしは聞いたからです
わたしたちはそれを聞くと、心は消え
あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました
あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです
それで、どうか、わたしがあなたがたを親切に扱ったように
わたしの父の家を親切に扱われることをいま主をさして誓い
確かなしるしをください
そしてわたしの父母、兄弟、姉妹およびすべて彼らに属するものを生きながらえさせ
わたしの命を救って、死を免れさせてください』
ふたりの人は彼女に言った
『もしあなたがたが、われわれのことを穂かに漏らさないならば
われわれは命にかけて、あなたがたを救います
また主がわれわれにこの地を賜わる時
あなたがたを親切に扱い、真実をつくしましょう』」
(ヨシュア記2章8-14節)

エリコを探るためにつかわされたふたりの斥候が
遊女ラハブの家に入った時
ラハブは斥候をかくまって、その後密かに逃がしました
それというのも
彼女は、ここまでイスラエルの民がどのような戦いを通り
そこをすべて神の力によって勝利してきたことを知っていたからです

彼女はイスラエルの神を心から恐れ
斥候隊への協力を惜しまず
その代わりに、自分たち一族が救われることを願います
それを聞いたふたりの斥候は
自分の命にかけて彼女への約束を守ると誓いました

ふたりの斥候にとって
ラハブが協力者となってくれたことは実にありがたいことでした
彼女は、イスラエルの神が、「上の天にも、下の地にも、神でいらせられる」
と信じていましたから
斥候から「窓から赤い紐を垂らすように」と命じられたこともすぐに実行します

現状を冷静にとらえ
真の神に従うべきと判断し
潔い行動に出たラハブ

単に、神さまのことを聞いたことはある、知っている、という人は多くても
実際の行動が伴わなくては救いは得られません
日々聖書を読み、聖書を知っているというだけで
実は毎日不平ばかり言いながら暮らしているのでは意味がないのです

ラハブは救われるために何をしたかというと
心から神を恐れ、信じて
自分のするべきことを教えられ
赤い紐を垂らすことで助けられるとの口約束も信じて
そのうちやりましょうではなく、即実行に移した
一連の流れは単純ですが、重要なポイントをおさえています

良い話を聞いた、そのうちやりましょうか
では、忘れてしまいます
いい加減でいいと思っていることが
実は取り返しの付かないことの前兆かもしれません
聖書のみことばを通して、自分がどうあるべきなのかを教えられ
日々軌道修正されながら整えられていく
信仰生活はそんな地味な毎日の積み重ねなのです

ラハブが単なる口約束を信じて待ったことは
行動そのものは決して難しいことではありませんが
そこに信仰を要するのは確かです
神はわたしたちに難しいことを要求されているわけではなくても
わたしたち自身が素直にならなくては
従うことは難しくなってしまいます

世の中はさまざまな「うわさ」に満ちていて
どんな不安なうわさを聞いたとしても、単に恐れるのではなくて
いよいよ神を信じ、神と共に歩む機会とする人は幸いです

どんな時にも、クリスチャンは神との約束を信じているもの
若い時は、自分に勢いがある分、神を見出だすのは難しいかもしれませんが
自分の弱さを知るにつれ
同時に神の助けを見聞きし、実際に体験するにつれ
その心にはやがて確信が与えられるようになります

「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず
かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し
神はその約束されたことを、また成就することができると確信した」
(ローマ人への手紙4章20-21節)


子どもを望めない状態でもなお神の約束を信じたアブラハムの信仰は
常識的には望みがないような絶望感から立ち上がるために
わたしたちがしっかり持ち続けなくてはならない信仰の見本です

期待が裏切られることによるダメージは大きいものですが
それだけに、希望がかなえられる確信は心に強いものを与えてくれます
人の約束はあやふやでも、神の約束は確かなもの
どんな状況下にあっても希望を失わず
祈りのうち日々平安を与えられて進んでいきたいものです



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