今週のみことば


4月16日


「あなたがたは、地の塩である
もし塩のききめがなくなったら
何によってその味が取りもどされようか
もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて
人々にふみつけられるだけである
あなたがたは、世の光である
山の上にある町は隠れることができない
また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない
むしろ燭台の上において
家の中のすべてのものを照らさせるのである
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし
そして、人々があなたがたのよいおこないを見て
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」
(マタイによる福音書5章13-16節)

塩というものは、その塩気ゆえに役立つものであり
もし塩としての効力がなくなったら
何の役にも立たないものとなってしまいます

神によって救われた者は
この地にあるところの塩として役立つように
神から塩としての効力を与えられていますが
神が共にいて導いてくださらなくては
自分の力で塩気を保っていくことは難しいものです

また、わたしたちには
世の中にあって光となるべき役割も与えられています
この世にはサタンがいて
人々の心を惑わし、不安に陥れようとしてきますから
その混乱の中にあっても迷うことなく神の導きに従って歩み
神の光を反映させていくものとならなくてはなりません

それには、何か特別立派なことをするのではなく
ただ自分に与えられている役割、するべきことをするのみです
もし、自分のするべきことについて迷うことがあれば
自分の固定観念や、面子、立場等をまずは除外し
第三者の視点からものごとを見てみると
進むべき道ははっきりしてくるでしょう
「自分」というものに固執し、常に「自分」の狭い世界を中心に考えていると
だんだん周りが見えなくなってしまうものです

常に自分が人からどういう風に見えているかにこだわる人や
自分にはあれもないこれもないと、ないものねだりをする人
自信過剰な人も、あるいは自己を卑下する人も
結局、この「自分」が妨げになって
しばしば進むべき方向を間違えてしまいます
神はいつも、その人に合った無理のない自然な方向へと
わたしたちを導いてくださるのですが
その道をややこしくしているのは実は自分自身なのです

「あなたの目は、からだのあかりである
あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが
目がわるければ、からだも暗い
だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい
もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ
ちょうど、あかりが輝いてあなたを照らす時のように
全身が明るくなるであろう」
(ルカによる福音書11章34-36節)


あなたの目はどこを見ているでしょうか
人でしょうか、神でしょうか
神から救われ、聖霊を与えられた人は
この聖書の教え、福音をゆだねられたのであり
その生き方が常に問われています

その目がいつも神を見ており
自分が今、与えられているものをもって前進していこうとするならば
その人の中に隠れたものも引き出され
神よりの知恵が与えられ
神の光を反映する者として歩むことができるのです

「正しい者の道は、夜明けの光のようだ
いよいよ輝きを増して真昼となる
悪しき人の道は暗やみのようだ
彼らは何につまづくかを知らない」」
(箴言4章18-19節)


ひとりひとり、与えられたところにあって
地の塩、世の光となるために
開かれた道を、あきらめずに精一杯歩んでいきましょう
そこには神が共にいてくださり
必要な助けが必ず与えられます
新しい週も
希望をもって踏み出していきましょう



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