今週のみことば


5月7日


「また天国は、ある人が旅に出る時
そのしもべどもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである
すなわち、それぞれの能力に応じて
ある者には5タラント、ある者には2タラント
ある者には1タラントを与えて、旅に出た
5タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして
ほかに5タラントをもうけた
2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた
しかし、1タラントを渡された者は
行って地を掘り、主人の金を隠しておいた」
(マタイによる福音書25章14-18節)

ここで3人のしもべたちは
”それぞれの能力に応じて”お金を預かり
どのような行動をするのかを試されています
与えられたものは異なっていても
それに対して忠実に歩むか否かが問われているわけですが
結果的に1タラントの人は全く働きませんでした

人間の愚かな点は
すぐ人と比較するところにあります
そして、自分の経験した範囲でしか物事を見ようとしない
この世の中において、天国を知る(感じる・味わう)ために
神さまは人にさまざまな道を用意してくださっていても
人はその真意を理解できず(しようともせず)
自分で勝手に考えて勝手な行動をしがちです

主人が帰ってきた時に
5タラントと2タラントの人はそれぞれ自分の”働きの値”を主人に渡しますが
1タラントの人は働いていない(従っていない)ので
隠しておいた1タラントを渡し、言い訳をします
主人は厳しい人なので、失敗をしてお金を失わないように地に隠しておいた・・と
それに対して主人は言いました
それならお金は銀行に預けておけば利子がついたではないか

ここで問われているのは
1タラントの人が”何もしなかった”ことです
主人が無理のない範囲で仕事を与えてくれた心を理解しようとせず
とにかく失敗しさえしなければと自分の面子にこだわり
何もしないのがいいと結論付けてしまったところに
彼の考え方の大きな間違いがあるのです

自分の大切な人生を
つまらない面子や、目先の都合でダメにしてしまうのはとてももったいないことです
一見つまらなそうな(大変そうな)道でも
目の前に開けた道は神より与えられた道です
実際にそこを忠実に歩む時に神の業はあらわれてきますが
歩んでみないことには何もわかりません
わからないからこそ歩んでみる、それが”従う”ということです

「また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って
神に満ちているもののすべてをもって
あなたがたが満たされるように、と祈る」
(エペソ人への手紙3章17-19節)


愛である神は
一人ひとりに一番良いものを用意してくださっていますが
人はそれが目の前にあってもなかなか見出すことができません
だから自分で自分を守ろうとして変な失敗をし
それを何度も繰り返して
自らの価値を下げてしまうこともあるでしょう
こうした間違いの連鎖を断ち切るためには
「恥は我がもの、栄光は神のもの」と
自分の間違いを潔く認めて
新たに神の前に歩み出すことが大切です

こうすることで自分の面子がつぶれるように思えても
神を第一にして進む道においては
人の面子も必ず立てていただけます
間違いは神の前にへりくだれば許されますが
自分の間違いを正そうとせず(認めず)
ただ隠したりつくろったりすることに熱心になっている間は
何度も同じ間違いを繰り返すでしょう

人が考えるほど、神は小さな方ではありません
しかし、その愛の広さ長さ高さ深さを人は理解できないがゆえに
おまかせすることもできないで
勝手に自分で突っ走ってしまうのです

人生には山あり谷ありさまざまな試練がありますが
神(絶対という存在)を持っているならば
どんな人生も必ず良いものとなります

人間が自分でする装いには限度があれど
神の装いがあるなら
その素晴らしさは限りないものです

自分に与えられたタラントを知るためにも
そのタラントが生かされるためにも
信仰をもって、各々の道に歩みだしましょう
大切なのは、ただ単純に、その道に忠実に歩むことです
失敗を恐れず
前を向いて
神にすべてをおゆだねしていきましょう



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