今週のみことば


5月14日


「求めよ、そうすれば、与えられるであろう
さがせ、そうすれば、見いだすであろう
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう
すべて求める者は得、さがす者は見いだし
門をたたく者はあけてもらえるからである
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに
石を与える者があろうか
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか
このように、あなたがたは悪い者であっても
自分の子どもには、良い贈り物をすることを知っているとすれば
天にいますあなたがたの父はなおさら
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは
人々にもそのとおりにせよ
これが律法であり預言者である
狭い門からはいれ
滅びにいたる門は大きく、その道は広い
そして、そこからはいって行く者が多い
命にいたる門は狭く、その道は細い
そして、それを見いだす者が少ない」
(マタイによる福音書7章7-14節)

ここに書かれた「求める」ことの内容について
多くの人はそれを「自分の願い」だと思うことでしょう
しかし、聖書が教えているのは
常に「神にまかせた生き方」です
たとえ自分が切に願っていることであっても
すべてが神の前に正しいこととは限りませんから
求めることによって全て自分の願いがかなうのだと思うなら
その結果は期待はずれのように感じるかもしれません

しかし、神はわたしたちを子どもとして愛してくださり
一番ふさわしい道を用意して下さっています
そしてそこで祈り求めて行くときに
必要なものは必ず与えられるのです
いえ、必要なもののみならず、ここには「良い物」と記されているように
そこには人の計り知れない神のご計画があるとわかれば
開かれた道を感謝して歩むことができるでしょう

その目の前に開かれた道は
一見魅力がなく、つまらない道に思えるかもしれません
あるいは、自分には難しいと躊躇することもあるかもしれませんが
神が開いてくださった道ならば
そこが狭く細くても
信仰をもって踏み出していけば
必ず神の働きを見ることができるのです

たとえ何十年教会へ行き、信仰信仰と言っていても
神の前に謙虚でなくては、それは本当の信仰生活ではありません
あれはいや、これもいやではなく
与えられたものを受け入れる気持ちがなければ
それによってこの先どういう道が開かれていくか経験できないので
信仰があやふやなままになってしまうのです

17節には
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」
と記されているように
わたしたちは神の前に
良い実の生る良い木として成長しなくてはならないのです
聖書は、人間が良い木となるように
神と共に生きる、人間本来の生き方を教えています
それはけっして複雑な内容ではなく
むしろこの世にあっては
古い因習や言い伝えに惑わされない
お金や名誉などの欲にふり回されないところの
神の知恵が与えられる自由で楽な生き方です

かつては人の中で人を恐れて生きていた人でも
神を恐れて、本当にその人らしい生き方ができるように
神に救われて、本当の自由が与えられたなら
再び人(世)の奴隷とならないことです

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放してくださったのである
だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」
(ガラテヤ人への手紙5章1節)


世の中お金が一番大事だと信じている人にとっては
このような聖書の言葉(十字架の言葉)は
実にばかばかしく思えることでしょう
また、この世にはさまざまな「教えの風」が吹いています
だからこそ、滅びることのない絶対という存在の神を信じ
派手さはなくとも
神が導いてくださるところへ従っていく人には必ず恵みと祝福がある
その聖書の約束を信じ、祈り求めて
これからも前進していきましょう

神という揺るぎないしっかりした土台の上に
それぞれの人生が建築されていきますように



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