今週のみことば


5月21日


「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない
岩を土台としているからである
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう
そしてその倒れ方はひどいのである」
(マタイによる福音書7章24-27節)

人生の土台をどこに置くのか、何を正しいとし、誰に聞いていくのか
神か世か、どちらにつくかによって
それぞれの生き方やその行方は随分と違ったものとなっていきます

お金や名誉に囚われ、浮ついた考えで生きていると
人生の荒波に耐えうる確実な建築ができません
それは、土台となるものが不動ではないからです

「このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから
彼にあって歩きなさい
また、彼に根ざし、彼にあって建てられ
そして教えられたように、信仰が確立されて
あふれるばかり感謝しなさい」
(コロサイ人への手紙2章6-7節)


「また、信仰によって
キリストがあなたがたの心のうちに住み
あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより
すべての聖徒と共に
その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って
神に満ちているもののすべてをもって
あなたがたが満たされるように、と祈る」
(エペソ人への手紙3章17-19節)


このように、神(=愛)を土台とし
日々、神よりの憐れみを感じつつ、感謝を持って生きていくならば
信仰生活は楽しいものとなりますが
人と見比べては一喜一憂し
ただ自分が人からどう見えているかに心を奪われているなら
神に従う道は楽しくないかもしれません
そこは、しばしば
世の中で勝ち組とされる道を目指す流れとは逆行しているからです

しかし、人間の知恵には無理があり
安易な道の先にあるのは不安です
一方で
神よりの知恵には計り知れないものがあり
そこで教えられる道には
喜びと平安が備えられています

人と見比べる人生では
どこまでいっても自分はみじめになるばかりですから
与えられたもので満足する→感謝する方向へと切り替えて
神を土台とした建築を進めていきましょう

エゼキエル書47章には
神殿から流れ出した一筋の水が
だんだん深く大きくなって
自分の力では越えられないものとなっていく記述があります
くるぶしほどの深さの時には歩けた水も
深くなると水の流れに身をまかせていくしかありません
わたしたちの信仰生活は
まさにその流れ、神の導きにまかせたものです

「与えられたもので満足する」の「与えられたもの」には
色々な意味があります
それは単に目に見えるモノだけではなく
見えないところの、気づいていないものも含めて
今一度、自分が置かれている状況をよく考えてみる必要があるでしょう

すでに与えられているたくさんの恵みに気づくためにも
人生の土台をはっきりさせて
堅実な歩みをなしていきたいものです



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