今週のみことば


5月28日


「さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた
すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に
『子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は許されたのだ』と言われた
すると、ある律法学者たちが心の中で言った
『この人は神を汚している』
イエスは彼らの考えを見抜いて
『なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか
あなたの罪は許された、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか
しかし、人の子は地上で罪を許す権威を持っていることが、あなたがたにわかるために』
と言い、中風の者にむかって
『起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と言われた
すると彼は起き上がり、家に帰って行った
群衆はそれを見て恐れ
こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」
(マタイによる福音書9章1-8節)

この後イエスは、取税人マタイに対して「わたしに従ってきなさい」と言われた他
多くの取税人や罪人と食事を共にしていたため
パリサイ人たちはその事について文句を言いましたが
イエスはこれを聞いて言われました
『丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである』

”罪を許す”ことができる方は神しかありません
わたしたち人間の中には誰も完全に正しい人(義人)はおらず
さまざまな意味での病気(問題)をかかえ、しばしば思い悩んでいます

そんな問題を解決するために必要なのは神よりの知恵
そして、神から与えられたチャンスを逃さないように
心を開いておくことが大切です

「ある人がイエスに
『救われる人は少ないのですか』と尋ねた
そこでイエスは人々にむかって言われた
『狭い戸口からはいるように務めなさい
事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから』」
(ルカによる福音書13章23-24節)


神の導きに従おうと思うなら
意識していないとそれは難しいことです
たとえ、洗礼と聖霊を受けて救いにあずかっている身であっても
そこから神に従う歩み(信仰生活)がなされていかないならば
人生の様々な悩みから抜け出すための神の知恵も
活かされないままになってしまいがちです

自分の名誉を重んじ、安易な道を選ぶことは
自分を一時的に安心させてはくれますが
それでは、ここと言う大事な時に
外れた道を歩んでしまうこととなるでしょう

チャンスはそう多くはありません
目の前にある本当のチャンスをきちんとつかめるか、そうでないかは
どういう価値観を持っているかによって変わります
そして、聖書は神の価値観を教えていて
わたしたちはそれを正しく受け入れる(受け入れようとする)ことで
自ずと神に従う幸いな道へと導かれていくのです

しかし、富と名誉を第一とする価値観から
神の側の価値観へと変わることは
わざわざ「狭き門」からはいるようなものであり
あくまでも自分の力を信じている人には、受け入れがたいものでもあります

キリスト教や聖書に興味を持ち
その「知識」を求めて勉強する人はあっても
「知識」とはあくまでも「知っている」だけのもの
それを蓄えるだけでは、神と共に歩む信仰生活の意味はわかりません

大切なのは「神の知恵」が与えられることです
日々をどう生き、どのような選択をするのが正しいのか
神の価値観が自分の価値観になっていれば
目の前に与えられたチャンスも
(それがたとえ小さなことであっても)
すぐにのって行動することができるでしょう

神に従う日々には
自分の心を見直し、省みる機会がたくさんあります
そして、その行く先は神が示し、導いてくださるもの
世の中の勝ち組志向に惑わされず
神にあって強く恵まれた人として成長していけますように
それぞれの置かれたところで
いよいよ神を信じ、祈り求めていきましょう




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