今週のみことば


7月30日


「さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに
『向こう岸へ渡ろう』と言われた
そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した
他の舟も一緒に行った。すると激しい突風が起こり
波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった
ところがイエス自身は、舳(とも)の方でまくらをして、眠っておられた
そこで、弟子たちはイエスをおこして
『先生、わたしどもが溺れ死んでも、おかまいにならないのですか』と言った
イエスは起き上がって風をしかり、海に向かって
『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった
イエスは彼らに言われた
『なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか』
彼らは恐れおののいて、互いに言った
『いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは』
(マルコによる福音書4章35-41節)

わたしたちの人生には、「怖い」と思う瞬間が何度もあり
そのたびに怖い怖いと言っていたのではきりがありませんが
例え信仰者であっても、救いを受けていると言っても
実のところ、その「怖れ」が来た時には
各々の心の状態によっては思わず右往左往してしまうものです
弟子たちも、イエスがそばにいてくださったにも関わらず
自分たちのおかれた状況を見て、怖れ、あわてました

問題に直面した時、大切なことは
そこでいかに神を見出し、平安と助けを得ていくかであり
それが「天国を味わうこと」につながっていくのですが
弟子たちはまず自分で祈ることもせず
ただ不安でおろおろしました
その時点でまだ舟は沈んでいるわけでもなく
イエスが共にいてくださる安心感を持っていれば
パニックに陥ることもなかったでしょう

一方、使徒行伝においては
牢獄に入れられた弟子たちが信仰をもって立ち上がっていく姿が記されています

「真夜中頃、パウロとシラスとは、神に祈り、賛美を歌い続けたが
囚人たちは耳をすまして聞きいっていた
ところが突然、大地震が起こって、獄の土台が揺れ動き
戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった
獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て
囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた
そこでパウロは大声をあげて言った
『自殺してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる』
すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて
おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した
それから、ふたりを外に連れ出して言った
『先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか』
ふたりが言った
『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』
それから、彼とその家族一同とに、神の言葉を語って聞かせた
彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった
そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け
さらに、ふたりを自分の家に案内して食事のもてなしをし
神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ」
(使徒行伝16章25-34節)


捕らえられたパウロとシラスにとって
自分たちがこの先どんな目にあっていくのか
最悪を想像すれば、それはもう限りなく死に近いものが予測されたことでしょう
それでも彼らは希望を捨てず、神に祈り、賛美した
その信仰が、牢獄(=最悪に至らんとする問題)を土台から揺り動かし
事態は一気に解決へと向かいます

問題に直面したら
とりあえず何かを選択しなくてはなりません
自分の力を頼るのか、あるいは神の力を頼るのか
神に力を頼るならば
内にあるところの聖霊がその人を導きます

問題にほんろうされているわたしたちは
牢獄で足かせにつながれているようなもの
その自分をつないでいる鎖に心が奪われている間は
ただ現状を嘆くばかりで、立ち上がっていくことができません

人間は弱い者ですから、面白くないとすぐに落ち込むため
そこからいかに立ち直っていくかが重要課題となります
辛いときには思い切り泣くのもいいでしょう
ただ、重要なのは泣いた後どうするのか
涙から何を学ぶのか・・です

「だから、わたしたちは落胆しない
たといわたしたちの外なる人は滅びても
内なる人は日ごとに新しくされていく」
(コリント人への第二の手紙4章16節)


人はいつまでも同じ状態ではなく
体は老化し、自分を取り巻く環境も、人間関係も変わっていくものです
それでも、神に対する思い(信仰)が衰えなければ
パウロたちのように、どんなところにあっても潔く生きることができる
それは、内側から支えられ、導かれていくからです

「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている
草は枯れ、花は散る
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」
(ペテロの第一の手紙1章24節)


世の中の栄華ははかなく、もろいもの
ひとりひとりに与えられている人生が
世の中の流れの中でほんろうされ
そこで希望を見失っていくことがありませんように
自分をつなぐ鎖から解放されるために
どんな状況でも神を見上げて、祈っていきましょう

イエスさまは色々な奇跡を行う際
「みんなが神を崇めるため」と語っています
ご自身が神でありながら、人間の立場で、栄光を神に帰するようにと
わたしたちの模範として示された姿がここにあります

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように
わたしは手本を示したのだ」
(ヨハネによる福音書13章15節)


わたしたちは決して自分を誇ることなく
自分に栄光を帰することなく
すべてのことは神が成して下さっている事を忘れないようにしましょう
信仰が弱ってくると
神を第一とする思いが鈍り
そこから不安が生まれます

どんなところにあってもそこが天国となるように
その心をいよいよ神に向けて、祈っていきましょう



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