今週のみことば


8月6日


「さてここに、12年間も長血をわずらっている女がいた
多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ
その持ち物をみな費やしてしまったが、なんのかいもないばかりか
かえってますます悪くなる一方であった
この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった
それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと思っていたからである
すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた
イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き
『わたしの着物にさわったのはだれか』と言われた
そこで弟子たちが言った
『ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに
だれがさわったかと、おっしゃるのですか』
しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた
その女は自分の身に起こったことを知って、恐れおののきながら進み出て
みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた
イエスはその女に言われた
『娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです
安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい』」
(マルコによる福音書5章25-34節)

多くの群衆にまぎれて、イエスにさわった女性は
ただ単に「さわった」のではなく、信仰を持っていました
だからこそ、この女性に対して神の力が働き
彼女の抱える12年間の問題は、根本から解決されたのです

聖書には病の癒しの記述が多くありますが
「病」とは一般的に言うところの身体的な病気のみならず
心の病もあれば、間違った思想や考え方といった
その人の生き方を左右する問題も含まれています
それらに対して、一時的な対症療法ではなく、根本からの解決が重要であり
神の救いを信じ、求めていく人には
本当にその解決が与えられることをここでは改めて教えられます

「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた」
(ローマ人への手紙4章18節)


人間の常識で考える限り絶望的な状況にあったアブラハムは
それでも神の約束を信じて待ったところに、その約束は成就されました

「そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が
『ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい』と叫びながら、イエスについてきた
そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので
彼らに『わたしにそれができると信じるか』と言われた
彼らは言った『主よ、信じます』
そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた
『あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように』
すると、彼らの目が開かれた
イエスは彼らを厳しく戒めて言われた
『だれにも知れないように気をつけなさい』
しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言い広めた」
(マタイによる福音書27-31節)


前述のアブラハムにしても、このふたりの盲人にしても
彼らはみな心から神を信じ
その信仰によって、自らの問題の根本解決を得ています

群衆にまぎれてイエスの衣にさわった女性も
周りに遠慮せず、勇気を出して行動できたのは
その心に信仰があったからです

このように、病の癒しが与えられるのは神よりの祝福ですが
病気や様々な問題を抱えていても
なお不信仰におちいらず
逆境の中でいよいよ神を信じていく
そして、そこに成る事に感謝していく姿こそ
本当に祝された人の姿と言えるでしょう

使徒行伝の6〜7章には
イエスの弟子であるステパノが殉教の死をとげる様子が記されています
迫害する人々に捕らえられ、議会に引っ張ってこられたステパノですが
彼の顔はその絶望的な状況の中にあっても「天使の顔のよう」であったとのこと
それは、どんな状況下でも神を信じ続けた彼が与えられた平安の表れです
その後彼は、殺されることを知りながらも
臆することなく語り続け、自分の使命を果たしました

「いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
すべての事について、感謝しなさい
これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに求めておられることである」
(テサロニケ人への第一の手紙5章16-18節)


”キリスト・イエスにあって”、つまりクリスチャンとして大切なことは
自分の人生の中心は常に神にあることを認識し
わたしたちの主である神が何を求めていらっしゃるのかを悟り
自分が置かれているところで使命を果たしていくことです

不本意な状況、辛い立場、納得のいかないことなど
さまざまな事がらが起こってきても
なお神に望みをおいて、信じて従っていくところに
必ず問題の根本解決はなされていきます

「神はすべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」
(テモテへの第一の手紙2章4節)

「主の僕たる者は争ってはならない
だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び
反対する者を柔軟な心で教え導くべきである
おそらく神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を知らせ
一度は悪魔に捕らえられてその欲するままになっていても
目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう」
(テモテへの第二の手紙2章24-26節)


人はみな、しばしば迷うものですが
事を始め、事を成しとげる全能の神が共にいてくださることを信じ
サタンにその心を揺さぶられることなく
ただ一心に神を信じて進んでいきましょう



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