今週のみことば


8月20日


「それから、彼らはエリコにきた
そして、イエスが弟子たちや大勢の群衆と共にエリコから出かけられたとき
テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた
ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい』と叫び出した
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫び続けた
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい』
イエスは立ちどまって『彼を呼べ』と命じられた
そこで、人々はその盲人を呼んで言った
『喜べ、立て、おまえを呼んでおられる』
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた
イエスは彼にむかって言われた『わたしに何をしてほしいのか』
その盲人は言った『先生、見えるようになることです』
そこでイエスは言われた『行け、あなたの信仰があなたを救った』
すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った」
(マルコによる福音書10章46-52節)

目が見えないために、物乞いをするしか生きる術がなかったバルテマイは
イエスが来たことを知り、救いを求めて叫びました
そんな彼を周りの群衆は黙らせようとしましたが、彼はひるまず叫びます
その切なる願いはきかれ、やがてイエスから望みは何かと問われるバルテマイ
そして、素直に、目が見えるようになりたいと彼は告げ
その求めるとおりに、彼の目は癒されていきました

神に「求める」ことはすなわち「祈り」です
イエスから呼ばれたバルテマイが
喜んで上着を脱ぎ捨ててイエスのもとへ行ったように
わたしたちが切に祈る祈りのうちにも
自分がまとっている上着(思想や価値観)をいったん脱ぎ捨てて
神の言葉を素直に聞いて従っていけるようになりたいものです

また、祈りが聞かれ、抱えていた問題が根本から解決されたなら
その後をどう歩むのか、正しく歩みだせるのかどうかで
人生が幸いか否かが分かれてきます
バルテマイは、見えるようになった後、イエスに従っていきました

「わが岩なる主はほむべきかな
主は、いくさすることをわが手に教え
戦うことをわが指に教えられます
主はわが岩、わが城、わが高きやぐら、わが救い主
わが盾、わが寄り頼む者です」
(詩篇144篇1-2節)


人生は日々さまざまな戦いがあります
その戦いはひとりひとり立場によって異なり
神は求める者にその戦い方を教えてくださいますが
自分の力を過信し、人間的な勢いで戦うならば
その結果はみな自分に返ってくるものです
神の導きのない、己の欲による戦いは
残念な結果を生み出すでしょう

問題の根本解決のために祈り求めるときには
まず自分の持っている不要なもの=さまざまな欲や思想、こだわりを捨て
本当の正しさの基準を教えられて
潔く新たに踏み出すことが大切です

「神の言葉はみな真実である
神は彼により頼む者の盾である」
(箴言30章5節)


聖書のみことばを通して正しさの基準を知り
その正しさに従って歩むことが信仰の原点です
毎日の生活には大した変化も見られませんが
神はわたしたちが気づかないうちに色々なことを変えてくださっていて
小さなことに目をとめていけば
いつの間にか多くの幸いに恵まれていることに気づきます

どんな時もわたしたちの盾となり、守り導いてくださる神からは
核心をついた癒しとも言うべき
一番大切で必要なものが必ず与えられますから
そこに希望を置き、いよいよ神を信頼して従っていきましょう



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