今週のみことば
8月27日
「主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた
弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた
主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって
その確かなことをお示しになった」
(マルコによる福音書16章19-20節)
イエスの復活を11弟子たちは信じることができなかったので
後にイエスは彼らが食卓についているところに現れ
彼らの不信仰と、心のかたくななことについて言及します
そして
これから全世界に出て行って福音をのべ伝えるべきこと
信じてバプテスマを受ける者は救われ
信じる者には神が「しるし」をもって答えてくださることが告げられました
ここにおいて
「信じる」ことは非常に大切なポイントです
信仰に必要なのは、難しい教理や神学ではなく、ただ素直に信じる心
更には、神の言葉に従えるかどうかなのです
イエスと共に十字架にかけられた罪人たちのうち
ひとりは自分の罪を棚に上げ、イエスをののしりましたが
もうひとりは、罪を自覚し、イエスにむかって言いました
『イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には
わたしを思い出して下さい』
(ルカによる福音書23章42節)
この罪人はその信仰を認められ
『あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』
と告げられたのでした
また、列王紀下5章において
スリヤ王の軍勢の長ナアマンは、らい病を患った際
癒しを求めて預言者エリシャのところへ行きましたが
ナアマンの予想とは違う答え”ヨルダン川で身を7回洗う”に腹を立てて
一度はそこを去ろうとしました
しかし、ナアマンのしもべが主人に考え直すようにと進言したことから
彼は預言者の言葉に従ったのです
こうしてナアマンの病気は癒されていきました
わたしたちは自分の人生を自由にできるわけですが
その歩み方を間違えないよう気をつけなくてはなりません
神を信じ、その言葉を受け入れようとする人には
救いも癒しも与えられます
一方で、信じなければ従えるはずもなく
奔放に歩んだ結果は
自らが責任を負うことになります
ナアマンは自分が幸いになる道を一度は間違えるところでしたが
良いしもべによって助けられました
人生の転機はどこにあるかわかりません
良い出会いと導きに恵まれるために
各々の人生(生活、歩み)の中心に神を持つのは大切なことです
人間があくせくしたところで
結局は神の定めた道を歩むしかなく
神によって置かれた場所でなされたことは
神によってしか勝利を得ることはできないのです
人はしばしば「しなくてはならないこと」を放置し
「どうでもいいこと」に執着する傾向があり
目の付け所を間違えてしまいがちです
神の前には何が重要で、何がどうでもいいことなのかを知り
間違いのない方向へと導かれて
神の働きを実感していくことができますように
信じる者は、確かに神が働いてくださる「しるし」を与えられるとあります
お金や名誉、健康といったものが十分あっても
神の祝福がなければ本当の幸いを得ることができません
どんなところに置かれても
信じて救われる者には必ず神が働いてくださって
知恵を与え、正しい道へと導いてくださいますから
これからもいよいよ神を信じ、寄り頼み
逆境をはね返す力を得て進んでいきましょう
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