今週のみことば


9月17日


「イエスはまたひとつのたとえを語られた
『盲人は盲人の手引きができようか
ふたりとも穴に落ち込まないだろうか
弟子はその師以上のものではないが
修行をつめば、みなその師のようになろう
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら
自分の目にある梁を認めないのか
自分の目にある梁は見ないでいて
どうして兄弟に向かって
兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせて下さい、と言えようか
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい
そうすれば、はっきり見えるようになって
兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう
悪い実のなる良い木はないし
また良い実のなる悪い木もない
木はそれぞれ、その実でわかる
いばらからいちじくを取ることはないし
野ばらからぶどうを摘むこともない
善人は良い心の倉から良い物を取り出し
悪人は悪い倉から悪い物を取り出す
心からあふれ出ることを、口が語るものである」
(ルカによる福音書6章39-45節)

人生を積み重ねていく間には
人は自分なりに何でもわかったような気になって
相手の小さな欠点(ちり)ばかりが目に付き、意見するようになるものです
ところが、実は自分の方にこそ大きな問題(梁=材木)があることに気づいていない
いえ、気づこうともしていないのです

自分が正しいと思ってやっていることが、本当に正しいのかどうかは
そこに現れてくる結果で明らかになります
良い木からは良い実が成り、悪い木からは悪い実が成るように
人の心のうちにあるものが結果として現れてくるわけですから
その結果を冷静に見つめて
自分を省みていく必要があるでしょう

信仰生活においても
それがたとえ長年積み重ねたものであっても
神の前に不必要な(間違った)歩みがあって
聖書はそこを指摘しているわけですが
自分が間違ったものを正しいと信じていたら
みことばにどう書いてあっても
それを自分に当てはめて、省みることはできません

家の中も、不用品を捨てていくと
すっきりして快適な生活ができるようになります
ちょうど不用品を捨てるように、自分自身を整理する
あなたが執着している思いは神(聖書)から出たものでしょうか
それとも人の考え(欲)でしょうか
もし、神の言葉と人の言い伝えをごちゃ混ぜにしているならば
その雑念を整理して
神さま一本に絞ることが大切です
そうすることで
はじめて聖書の意味がわかるようになり
本当に自分に必要な歩みが何なのかが教えられるからです

ヘブル人への手紙4章2節には
「しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった
それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである」

とあるように
どんなに聖書のみことばを聞いて知っていても
そこに神への信仰が伴わないならば
自分の雑念がじゃまをして、せっかくのみことばが生きてきません

「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で
人のとりこにされないように、気をつけなさい
それはキリストに従わず
世のもろもろの霊力に従う人間の言い伝えに基づくものにすぎない」
(コロサイ人への手紙2章8節)


クリスチャンであっても
みな世の中に生きていますから
そこにあるさまざまな人の言い伝えに惑わされ
いつの間にか神の導く方向からずれていくこともあるでしょう
もし自分の行動が正しければ、そこには正しい結果が伴います
しかし、自分が単に人の考えの虜になって翻弄されているだけなら
道に迷い、不安の中でさまようことになるのです

「わたしがあなたがたに送った大軍
すなわち群がるいなご、とびいなご
滅ぼすいなご、かみ食らういなごの食った年を
わたしはあなたがたに償う」
(ヨエル書2章25節)


さまざまな試練の中で受けたダメージも
神によるフォローがあり
恥をかいたようであっても、それもやがておおわれていくというならば
どんなに心強いことでしょうか

迷ったり、間違えたりしながら歩んできた人生も
自分の目にある「梁」を取り除いて
神に立ち返ることで
必ず幸いへと導かれていきます

”自分が正しいと思っていないと生きていけない”という人がありますが
聖書が教えているのはその反対で
自分の間違いを悔い改めようとするところに神が働き
恥もおおってくださるというのです
自分で肩肘張って生きなくても
ただ素直になって、信じて従っていくだけで
誰でも幸いになれる聖書の教えではありますが
それを受け入れるか否かは自分自身にかかっているのです

「さて、ヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた
『あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている』」
(ヨシュア記13章1節)


ある程度年をとってくると
人は疲れてきて
先に希望を見出せなくなりがちですが
神から活かされている間はなおそこに使命があって
それぞれの道を進んでいかなくてはなりません

時には荒れた道を歩まされ、涙することもあるかもしれませんが
それでも信仰持って進んで行く時
そこにはかならず神が働いて
良い実を成らせてくださるでしょう

チャンスを活かす力も
正しい道を見分ける力も
すべては神から与えられるもの

ふり返って見て
そこに神を信じる者の幸せを見つけたら
その先の問題も無事に過ごせるであろうとの平安も与えられます

間違ったまま、迷ったままの人生を歩んで
自分も、周りの人も共に穴に落ち込んでいくことがありませんように
神はわたしたちの避け所であることをかたく信じ
いよいよ信頼して従っていきましょう



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