今週のみことば


10月20日


「わたしたちがこうして救われてからわかったが
これはマルタと呼ばれる島であった
土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた
すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために
火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである
そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ
熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた
土地の人々は、この生き物がパウロの手からぶら下がっているのを見て互いに言った
『この人は、きっと人殺しに違いない
海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ』
ところが、パウロはまむしを火の中に振り落として、なんの害もこうむらなかった
彼らは、彼が間もなくはれ上がるか
あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた
しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変わったことも起こらないのを見て
彼らは考えを変えて『この人は神様だ』と言い出した」
(使徒行伝28章1-6節)



パウロがカイザルに上訴するため、船でイタリアへ行く途中
ユーラクロンと呼ばれる暴風によって船は破船し
乗っていた人々はマルタ島へ流れ着きました

彼らを迎えてくれたその島の人々の前で
パウロに奇跡が起こります
まむしにかまれれば当然死ぬはずなのに
何事も起こらない事に驚いた彼らは
その前には
まむしにかまれたパウロはよほど悪い事をした罪でこんな目に会うのだと思っていたのに
彼らはその考えを変えて
パウロを神様だと言い始めるのでした

ここで、まむしにかまれたパウロは
決して大騒ぎをせず、まむしを火の中に振り落とし
冷静に対処しています
それは神よりの平安があったからでしょう

思わぬ事態が起きた時
それにどう対処するかは人それぞれですが
冷静に問題の根本解決を図るのと
パニックに陥り、大騒ぎをするのとでは大きな差があります
そしてその差が、神にある者か、そうでないかの差なのです

また、問題解決の方法として
人に災いを及ぼすという処理方法もあります
つまりは、人のせいにして
人に迷惑をかけて自分が助かろうとする
これは神から喜ばれるものではありません

どんな大変な問題に直面しても
神にあって対処できるなら
わたしたちは決して困ることはなく
一番良い対処方法が教えられます

そのために必要なのは
ちょうど島の人々が”考えを変えた”ように
わたしたちも自分の持っている固定観念や自分の思いを変えて
心を整理すること

目の前の問題が自分の思い通りになっていかない場合
わたしたちはそれについてついぐずぐず思いがちです
そこで神のわざは決してとどまっているわけではなくても
人は自分の考えを優先してしまうからです

問題に大きな進展がなくても
神は常に生きて働いて下さっているとの証は
必要に応じて必ず与えらる
こうして
ひとりひとりを通して
神の働きをみんなが知るようになるのです

とはいえ
自分の思い通りにならないことについて
考え方を変えろと言われても
なかなか納得できるものではないでしょう
それでも
キリストにある者は
その心を神と共にしていくのが信仰の基本です
神には何か御計画があるはずと
そこにのぞみをおき
「これが、これが・・」と、いつも心に引っ掛かっている問題についても
自分の中で固執しないように
思いを変えて、目覚めていけたら幸いです

思いを変えるとは、ものの見方も変えるということ
ダメと思っていたものが
そうではなかったのだと気づくこともあるでしょう
人生は何が幸いするかわかりません

「ある者はパウロの言うことを受け入れ、ある者は信じようともしなかった
互いに意見が合わなくて、みんなの者が帰ろうとしていた時
パウロはひとこと述べて言った
『聖霊はよくも預言者イザヤによって、あなたがたの先祖に語ったものである
この民に行って言え
あなたがたは、聞くには聞くが、決して悟らない
見るには見るが、決して認めない
この民の心は鈍くなり
その耳は聞こえにくく
その目は閉じている
それは、彼らが目で見ず
耳で聞かず
心で悟らず
悔い改めて、いやされることがないためである
そこで、あなたがたは知っておくがよい
神のこの救いの言葉は、異邦人に送られたのだ
彼らはこれに聞き従うであろう』」
(使徒行伝28章24-28節)


マルタ島に居る間
パウロは人々の病気を癒す奇跡をおこなったので
彼らはパウロを非常に尊敬し
3ヶ月後に出帆する時には、必要な品々を持ってきてくれました
その後、パウロはついにローマへ到着し
そこでユダヤ人たちを招いて
自分がカイザルに上訴するに至ったいきさつを語り
イエスについて語り続けましたが
彼らは、イザヤが予言したとおり
この救いを受け入れようとはしませんでした
こうして、救いは異邦人へと向かうことになります

もしカイザルに上訴すれば
自分の命は助からないであろうことを
パウロは覚悟していましたが
この救いを異邦人へ持ちゆく使命を負った彼は
その信仰ゆえに前進しました

”信じているからこそ行動できる”
わたしたちも
なにはともあれ信じて
各々おかれたところで自分の使命を全うするために
前進していきたいものです



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