今週のみことば
11月3日
「では、わたしたちは、なんと言おうか
恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか
断じてそうではない
罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか
それとも、あなたがたは知らないのか
キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである
それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら
さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう
わたしたちは、この事を知っている
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである」
(ローマ人への手紙6章1-7節)
5章20節の
「罪の増し加わったところには恵みもますます満ちあふれた」
との言葉に続き
6章では
人間が罪に対して死ぬために洗礼のバプテスマがあることが語られています
イエスの名によるバプテスマを受けた者は
罪あるこの身が、イエスと共に一度死に
新たに生まれ変わって
イエスと共に生きる者とされました
この救いに与るまでは
多くの人は、世の中の派手なものに心奪われ
古い因習の中に生き
偶像や迷信など、人のつくったものを信じていたことでしょう
それが
イエスの死にあずかるバプテスマを受けてからは
もうこの世の価値観から解放され
神の価値観に従って生きる者として新たに命を与えられたのです
こうして
わたしたちの霊は救われて罪から解放され
もう罪の奴隷ではなくなりましたが
現実には、人の心はそう簡単には変わりません
自分が正しいと信じてきた考えや思いはなかなか捨てられず
人は”自分に死ぬ”ことが難しいからです
だからこそ
バプテスマを受けて救われるのみならず
イエスと共に生きる生き方を学ぶ”その後の歩み”が重要になるのです
それが信仰生活であり
その学びの機会がなければ、”魂の成長”もありません
信仰信仰と言いつつも
結局は自己中心な自分が変わらず
いつまでも虚栄心を満足させる道を求めていくのでは
イエスに似る者としてのクリスチャンの歩みには遠く
あるいは、反対に
掟を重視した過剰に厳しい信仰生活では
信仰が恵みではなく、修行になってしまいます
神の台木に接ぎ木された枝であるクリスチャンは
聖書の中で示されたイエスの歩みを模範として見習い
イエスの心を自分の心としていけるように
それぞれどんなところに置かれ、どのような境遇にあろうとも
その行方を神に任せ
希望も知恵も助けも与えられて生きていく
これが神と共に生きる賢明な生き方です
しかし
自分の身に思わぬことが起こり
腹が立つこと、なさけない事、悲しい事に会った時
その心は穏やかではいられません
あるいは、自分の欲に負けてしまうこともあるでしょう
わかっていてもやめられない
人の心には二面性があって
どんなに正しい事を欲していても
どんなに神の言葉を守ろうと思っても
人の力だけで正しい方向へ歩み出すことはできないのです
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」
(ローマ人への手紙7章24節)
だからこそイエスの十字架による救いが必要なのです
それがなければ誰も全く正しく生きることはできず
自分で自分を救うことはできません
「あなたがたはまた、彼にあって
手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて
肉のからだを脱ぎ捨てたのである
あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ
同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって
彼と共によみがえらされたのである」
(コロサイ人への手紙2章11節)
こうして、イエスと共に死に、よみがえりにあずかるバプテスマを受けた後は
困難の中にあっても、病気であっても
今も生きて働いて下さる神を身近に感じながら
その体験から多くを学び、信仰によって強くなることができます
もちろん人の正直な望みは
病気も困難も何もないことですが
神のご計画ならば何でも受けていく
それは耐えられないような道ではないはずだから、と信じていく時に
どんな不思議な神の働きを見ることができるか
そこには想像を超えたものがあります
だからこそ
わたしたちは希望を持って祈り続けるのです
救われて神と共に生きる道は
決して世の中からかけ離れた奇妙な道ではありません
むしろ、神の道がわかれば世の中の関わり方もわかるようになり
困難に立ち向かう方法や
人と人とが穏やかに暮らす秘訣も教えられます
こうしてクリスチャンは
暗い世の中にあって神の光を反映する存在としての使命を持ち
多くの人が救いにあずかって幸いな道へと導かれていくように
神の証人となっていくのです
信仰生活は
ちょうど、増えすぎた物を整理するのと似ています
どれが必要でどれが不必要なのか
自分でわからない時には、相談することも必要です
過去にこだわり、いつまでも捨てられないままでは
心の整理はつきません
不必要なものを捨て、身軽になって
日々を神と共に歩んでいきましょう
<目次