今週のみことば
11月17日
「肉の思いは死であるが
霊の思いは、いのちと平安である
なぜなら、肉の思いは神に敵するからである
すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである
また、肉にある者は神を喜ばせることができない」
(ローマ人への手紙8章6―8節)
「肉の思い」あるいは「霊の思い」とは何なのか
それはガラテヤ人への手紙5章に記されています
「肉の働きは明白である
すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い
そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽およびその類である」(19-21節)
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって
これらを否定する律法はない
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を
その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」(22-24節)
人間は、自らの持つ欲のためにしばしば間違いをおかします
ルカによる福音書15章には『放蕩息子』の話が記されていますが
父親から財産を分けてもらった息子が、それを持って豪遊し
やがてすべてを失ってから思い出したのは父親の待つ家でした
人間には
肉の思いに従う面と、神の思いに従う面の二面性があり
最初は肉の思いで家を出た息子も
行き詰った時、本心に立ち返って
神の思いに従う道へと帰っていきます
人は自分で自分を救うことはできないのだと
自らの限界を知った息子を
父親は愛と寛容をもって受け入れました
父の元に帰る、すなわち神の元に居ることがいかに幸いかを知れば
その後の人生は、神の思いに従ったものとなり
死に向かっていたその身も
神にあって再び生かされていくのです
どんな人も、人生は試練の連続であり
これさえなければ・・・と、その時は嫌になることも多々ありますが
そこを神と共に通り過ぎる時
すべてのことは益であったと
やがて感謝に結びついていくでしょう
ところが
問題が解決し、物事がうまく進めば
今度は自分を過信して傲慢になるかもしれません
また反対に
問題がいつまでも解決せず、行き詰ったままだと
どうせ自分はもうダメなのだと自ら結論を出して
愚かな道を歩む人も出てきます
どちらにしても
いつまでも肉の思いに惑わされ
自分が何者であるかを知ることなく
神がいかに大きな存在であるか気づこうとしなければ
その歩みはどんどん滅びへと向かってしまうのです
肉の思いに従う道から
神の思いに従う道へと転換するために
必要な3つのみことばを以下に記します
「思うべき限度を超えて思いあがることなく
むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって
慎み深く思うべきである」
(ローマ人への手紙12章3節)
「わたしは植え、アポロは水をそそいだ
しかし、成長させて下さるのは、神である」
(コリント人への第一の手紙3章6節)
「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく
真理にしたがえば力がある」
(コリント人への第二の手紙13章8節)
真理とは神のことであり
すべてのことは神の采配の内にある
愛である神は
人を正しい方向へ導くために色々な道を通しますが
そこで大切なものに気づく人は幸いです
<目次