今週のみことば


1月14日


「イエスは答えられた
『よくよくあなたに言っておく
だれでも、水と霊とから生まれなければ
神の国にはいることはできない』」
(ヨハネによる福音書3章5節)


パリサイ人で、名をニコデモというユダヤ人の指導者が
ある晩、イエスの元にやってきました
彼は、イエスの行う不思議なわざを見聞きし
この人は神が共に居られるかただと信じていたのです
そんなニコデモに、イエスは
『だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない』
と告げました
しかし、ニコデモにはその意味が通じなかったので
新たに生まれるとは、水と霊、すなわち洗礼と聖霊を受けて
肉によってではなく
霊によって生まれ変わることだと教えます

聖書において、生命(救い)に関する重要なことについては
このようにイエスご自身が語り
それを弟子たちが語り継いで行きました
長い年月の間には、その言葉も
人の解釈によってさまざまな方向へと変わっていっていますが
聖書に記された神の言葉は不変です

現在、多くの教会では
洗礼を受けることは、あたかも信仰の最終目標であるかのように
誰でも受けることのできる身近なものとはされていないようですが
使徒行伝10章43節には
”イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪の許しが受けられる”
と記されています

「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに
それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった
割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは
異邦人にも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた
それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである
そこで、ペテロが言い出した
『この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには
彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか』
こう言って、ペテロはその人々に命じて
イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた」
(使徒行伝10章44-48節)


使徒行伝2章の聖霊降臨以降
神は”助け主”としての聖霊を注ぎ、人々は異言を語る一方で
みな洗礼を受けていきました
洗礼と聖霊、すなわち水と霊は対になる救い
それをイエスご自身が語られたわけです

「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保障として
わたしたちの心に御霊を賜わったのである」
(コリント人への第二の手紙1章22節)


「わたしは父にお願いしよう
そうすれば、父は別に助け主を送って
いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう
それは真理の御霊である
この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので
それを受けることができない
あなたがたはそれを知っている
なぜなら、それはあなたがたと共におり
またあなたがたのうちにいるからである」
(ヨハネによる福音書14章16-17節)


聖霊をいただくということは
神ご自身がわたしたちの内に住み
心に願うことも直接届き
人の力ではどうしようもないことが起きても
知恵や力や勇気を与えて
正しい道へと導いてくださるということです
そして、何より
この救いを与えてくださる神を
わたしたちは信じていかなくてはなりません

「信じてバプテスマを受ける者は救われる
しかし、不信仰の者は罪に定められる」
(マルコによる福音書16章16節)

「だから兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい
すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が
今やあなたがたに宣べ伝えられている
そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても
信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである」
(使徒行伝13章38-39節)


「わたしは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく
ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて
わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである
それは、律法の行いによるのではなく
キリストを信じる信仰によって義とされるためである
なぜなら、律法の行いによっては
だれひとり義とされることがないからである」
(ガラテヤ人への手紙2章15-16節)


こうして、わたしたちはイエス・キリストを信じることにより
その水と霊の救いにあずかることができました
そして、なおも信じ続けて
各々の道を歩んでいます

信仰とは、その心を神より見られ、試みられるものです
せっかく実った信仰の実が、揺さぶられて落ちてしまわないように
ひとりひとりの信仰の歩みを大切にしていきましょう
上手くいっている時も有頂天になっておごることなく
また、上手くいかない時も落ち込んでもうダメだと失望せず
希望を持ち、心豊かに生きる
そのような歩みを聖書は教えています

「初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい
初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば
あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる」
(ヨハネの第一の手紙2章24節)


同じ聖書のみことばであっても
長い年月を経て、人の考えが加わるうちに
本来の教えからは遠く隔たっていく場合もあるでしょう
だからこそ
聖書に記されたままの”初めから聞いたこと”を大切にしなくてはなりません

人の救いも、その後の歩みも
すべて大切なことははっきりと聖書に記されています
そのみことばを心に留め
神の前に着実な歩みを進めてまいりましょう



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