今週のみことば


1月21日


「イエスは また ガリラヤのカナに行かれた
そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である
ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた
この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて
カペナウムに下って彼の子をなおしていただきたいと、願った
その子が死にかかっていたからである
そこでイエスは彼に言われた
『あなたがたはしるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう』
この役人はイエスに言った
『主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい』
イエスは彼に言われた
『お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ』
彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った
その下っていく途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた
彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら
『きのうの午後一時に熱が引きました』と答えた
それは、イエスが『あなたのむすこは助かるのだ』と言われたのと
同じ時刻であったことを、この父は知って
彼自身もその家族一同も信じた
これはイエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである」
(ヨハネによる福音書4章46-54節)


この前に、カナにおいては
婚礼でぶどう酒が足らなくなった時
水がぶどう酒に変えられる奇跡(第一のしるし)が行われていました(2章)
その時、奇跡を一番実感したのは
イエスの言葉に従って水を汲んだ僕たちでした
こんなことをして何になるのかと思うようなことでも
素直に従って労した彼ら
一方、子どもを助けたい一心の役人もまた
『あなたのむすこは助かる』とのイエスの言葉を信じて帰ります
そして、その言葉通りに奇跡は行われ
彼も家族もみな信じる者となっていったのでした

絶望的な状況に追い込まれた時も
神に望みをおき、その言葉に従っていく人は幸いです
創世記において
兄弟の反感をかって奴隷として売られたヨセフも
次々転落していく自分の境遇に絶望することなく
奴隷の立場であっても、囚人になって監獄に入れられても
いつも神に望みをおいて、自分のなすべきことを成していましたから
彼にはいつも神がついていて
どんなところに居ても、そこで彼のなすことはみな祝されていきました
そして、やがて来るべき時がきて
ヨセフは宰相へと持ち上げられていったのです

このように
信仰者にとって一番重要なことは
何が起きても、どんなところに置かれても
神に希望をおき、神の言葉に従っていくことですが
クリスチャンは
イエスの言葉を中心に考え判断するのが基本であるにも関わらず
人にはそれぞれ自分で持っている考えや価値観があって
それを持ったままではイエスの言葉を受け入れるのは困難なのです

人間は誰でも
真理よりも自分の都合のいいことを優先しがちで
自分の思いを捨てていくには心に葛藤が生じます
そして
人間にとって”わかりやすいもの”に希望をおきたくなる
その”わかりやすいもの”とは
お金や地位や名誉や学歴といった
一見その人の人生を支えてくれそうなものであり
これらを手に入れることに躍起になり
間違った方向へと進んでしまうのです

このような考えが正されるために信仰しているはずなのに
結局自分の考えが第一になると
それは自己中心の信仰となり
自分の持っている悪い癖が出てきて
信仰の歩みも神の道から外れてしまいます

人生には、信じられないようなことがたくさん起こり
なぜ?と疑問に思うことも多々あります
祈っていても問題がいつまでも解決されない気がしますが
それでも必要なことは必ず成り
そしてひとりひとりは活かされ、励まされ
神に望みをおいていく人生の幸いが証されていくのです

しかし
問題のために心が弱ってしまうと
次々余計なことばかり考え
大事なことを聞かされても
受け入れることも難しくなりがちです
そうならないように
ひとりで信仰するのではなく
教会に集って教えられ
正しく導かれることが大切です
ひとりで歩んでいると
自己本位になって教えられることがないからです

また
物事が上手く行って、状況が落ち着くと慢心し
今度は神を忘れてしまいがちですが
そこで人生は終りではありません
老いも若きも
天に召されるその日まで
それぞれが与えられたところで使命を全うし
ずっと神の言葉に従い続けなくてはならないのです

「さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた
『あなたは年が進んで老いたが
取るべき地は、なお多く残っている』」
(ヨシュア記13章1節)


クリスチャンでありながら
その心に聖書と異なる思想を持つならば
それは”異なる神”を持つのと同じこと
自分流の信仰では人生にゆがみが生じます

「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ
偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから
互いに心から熱く愛し合いなさい
あなたがたが新たに生まれたのは
朽ちる種からではなく、朽ちない種から
すなわち、神の変わることにない生ける御言によったのである
『人はみな草のごとく
その栄華はみな草の花に似ている
草は枯れ
花は散る
しかし、主の言葉は、とこしえに残る』
これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」
(ペテロの第一の手紙1章22-25節)


ヨセフはどんな境遇におかれても希望を失わず
自分のなすべきことをなしていました
今自分に与えられている課題に向き合う
これが従うということです
そして、彼は長い間、まるで神から忘れられていたかのようではありますが
決して意味のない時間を過ごしたわけではないのです
色んなところを通して人は練られ成長します
”真理に従う”ことは”たましいをきよめ”ることにつながり
”とこしえに残る”神の言葉に従う幸いは
必ず現れてくるものです

問題が起きた時には
まず神に希望をおき、祈っていきましょう
また、安定している時には
神に感謝し、いよいよ平安を与えられていきましょう

どんな時も神と共にある
クリスチャンとしての信仰生活は
人生を必ず幸いへと導きます



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