今週のみことば


2月4日


「イエスは、また人々に語ってこう言われた
『わたしは世の光である
わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく
命の光をもつであろう』」
(ヨハネによる福音書8章12節)


神を信じる人も信じない人も
世の中の憂い(病気や困難)は同じようにつきまとい
そのたびに辛さも感じ、途方にくれることも多々あることです
しかし
イエスを信じ、その道に従う者には
どんな闇のうちにも光が与えられ
希望を持って前進し
さまざまな困難にも勝利することができるのです

その際、大切なのは「イエスの言葉に従う」という基本
この信仰はあくまでも聖書が中心で
そこに人間の勝手な思いが入り込むと
全く違った教になってしまいます

実際に、聖書に記された時代の教会においてもそのような事が起きており
イエスの弟子たちは人々に向かって
ただ純粋に、イエスの残された言葉、足跡に従っていくべきと
繰り返し忠告するのでした

「わたしがマケドニアに出発する際、頼んでおいたように
あなたはエペソにとどまっていて
ある人々に、違った教を説くことをせず
作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい
そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく
むしろ議論を引き起こさせるだけのものである」
(テモテへの第一の手紙1章3-4節)


今の時代にあっても
人間の作り出した神話(神学)や、系図・家柄にこだわる価値観などが
人の心を支配しており
そのようなものが信仰生活に入り込んでくると
聖書で教える一番大切な”神による救い”や
”神に従って自分を整えていくこと”よりも
ただ己を自慢したり、人と議論するばかりになっていってしまうのです
これでは何のために信仰しているのかわかりません

「テモテよ、あなたにゆだねられていることを守りなさい
そして、俗悪なむだ話と、偽りの”知識”による反対論とを避けなさい
ある人々はそれに熱中して
信仰からそれてしまったのである
恵みが、あなたがたと共にあるように」
(テモテへの第一の手紙6章20-21節)


信仰生活にあって一番大切なことは
”聖書は何と言っているか”です
神であるイエスご自身の言葉こそ信仰者が信ずべきものですが
そこから外れた教えで人々をつまづかせる者も出てきますから
わたしたちは常に注意しておかなくてはならないのです

「さて兄弟たちよ、あなたがたに勧告する
あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し
つまづきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい
なぜなら、こうした人々は、わたしの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え
そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心をあざむく者どもだからである」
(ローマ人への手紙16章17-18節)


「自分の腹に仕え」る人は
聖書の言葉も自分の都合のいいように曲げてしまう人です
みことばはあくまでも人が正しく生きるためのものであって
人々が争うためのものでもなければ
単なる知識追求の研究材料でもないのですが
残念ながら
神の心よりも自分の心を愛する人々が勝手なことをはじめるので
純粋な信仰者は混乱させられてしまうのでした

しかし
仮にどんな間違いの教えが横行しようとも
世の光となってくださるイエスをかたく信じ
そのみことばから命の光を見出して
困難に立ち向かう力を得る純粋な信仰を持つ人は幸いです

この”光のある人生”は
すべての戦い(困難)に対して最終的には勝利する
”勝ち得て余りがある人生”なのです

「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か
”わたしたちはあなたのために終日、死に定められており
ほふられる羊のように見られている”
しかし、わたしたちを愛してくださったかたによって
わたしたちは、これらすべてのことにおいて勝ち得て余りがある」
(ローマ人への手紙8章35-37節)


たとえ厳しい修行で体を鍛えても
自分の力では勝利できないことがたくさんあります
また、家柄や過去の栄光を誇ったからといっても
重要なのは、今がどうであるのか
そして自分は何者なのかということで
家柄は人を救ってはくれません

世の中の不確かなものに望みを置くのではなく
確かなものをつかんでいくためには
信仰生活に必要なものと邪魔なものの区別が必要になります
聖書を研究すれば知識は増すでしょうが
そのことでプライドばかり高くなっても
本当の信仰には役立たないのです

「この書の予言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する
もしこれに書き加える者があれば
神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる
また、もしこの予言の書の言葉をとり除く者があれば
神はその人の受くべき分を
この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」
(ヨハネの黙示録22章18-19節)


聖書のみことばは
人が勝手に改ざんしてはならないものです
わからないことがあれば、それはそのまま神におゆだねしておけばいいこと

同様に
わたしたちの人生もどのように導かれていくのかわからないことばかりですが
はっきり言えるのは
神を信じて従っていく人の道は
たとえ現在目の前が暗く見えても
必ず光が道を照らし、幸いへと導かれるということです

目をさまし、惑わす者から離れ
しっかり前を向いて進んでいくことができますように
祈ってまいりましょう



<目次