今週のみことば


2月25日


「そこでイエスはまた言われた
『よくよくあなたがたに言っておく
わたしは羊の門である
わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である
羊は彼らに聞き従わなかった
わたしは門である
わたしを通ってはいる者は救われ、また出入りし
牧草にありつくであろう
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり
滅ぼしたりするためにほかならない
わたしがきたのは
羊に命を得させ、豊かに得させるためである
わたしはよい羊飼である
よい羊飼は、羊のために命を捨てる
羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は
おおかみが来るのを見ると、羊を捨てて逃げる
そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす
彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである
わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り
わたしの羊はまた、わたしを知っている』」
(ヨハネによる福音書10章7-14節)


ここに記された羊は
わたしたちイエスにある者(=クリスチャン)であり
良い羊飼は
わたしたちを救い
正しく導いてくださるイエスご自身です

この羊は、イエスがどなたであるかを知っており
その教えに従って救いの門をくぐるために
洗礼と聖霊のバプテスマを受けました
世の中にはさまざまな教えがありますが
羊は人々を惑わす教えには聞かず
自分に命を得させ、守り導いてくださる方に聞き従います
そして
よい羊飼いは自らの命を捨てて羊を守る
神が肉体を持つ人の形として生まれたイエスは
十字架上で自ら命を絶ち
万民に洗礼と聖霊のバプテスマという救いのチャンスを与えたのでした

「父は、わたしが自分の命を捨てるから
わたしを愛してくださるのである
命を捨てるのは、それを再び得るためである
誰かがわたしからそれを取り去るのではない
わたしが自分からそれを捨てるのである
わたしにはそれを捨てる力があり
またそれを受ける力もある
これはわたしの父から授かった定めである」
(ヨハネによる福音書10章17-18節)


ここでは、イエスご自身がどういう立場の方であるかがはっきりと語られており
だからこそユダヤ人たちはいよいよ彼をを憎み
悪霊にとりつかれて気が狂っていると訴えますが
他の人々は
悪霊は盲人の目をあけることはできないと反論しています

このように
イエスを信じない、知らない人は、羊ではないので
けっしてその門を通ろうとはしませんが
この後
ここに語られたとおりにイエスは十字架にかかり
殺されたのではなく自ら命を捨て
ふたたびよみがえって(命を受け)
万民に救いの道を開くのでした

「ヨハネは燃えて輝くあかりであった
あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした
しかし、わたしには
ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある
父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ
すなわち、今わたしがしているこのわざが
父のわたしをつかわされたことをあかししている
また、わたしをつかわされた父も
ご自分でわたしについてあかしをされた
あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく
そのみ姿を見たこともない
また、神がつかわされた者を信じないから
神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが
この聖書は、わたしについてあかしをするものである
しかも、あなたがたは
命を得るためにわたしのもとにこようともしない」
(ヨハネによる福音書5章35-40節)


イエスがご自身の立場を語るたびに
ユダヤ人たちの不信感が強くなるので
何度も繰り返して説明がなされていますが
信じない人は何を言っても信じないままです
彼らの中には自分で決めたものが根深くあって
その自分の考えにあてはめて聖書を読むので
ますます真理がわかりません
この章では、最後に
イエス=神であることがはっきりと語られています

「もしあなたがたがモーセを信じたならば
わたしをも信じたであろう
モーセはわたしについて書いたのである
しかし、モーセの書いたものを信じないならば
どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」(46-47節)


わたしたちが今、イエスを神と信じるのは
聖書がイエスについて語り
正しく真理を伝えていると信じるからです

そして
聖書の中でイエスご自身がたくさんの奇跡を行われたように
今、救われたわたしたちの上にも
たくさんの神の証があります

人の力ではどうしようもない
そんな試練を乗り越える力を与えて下さる方がある
その実感は生きる原動力となり
多くの迷う人々の中にあって
神にある者の幸いを示す存在として
いよいよ力強く生きていくことができるのです

聖書で繰り返し語られるイエス像を
ただぼんやりとした形ではなく
わたしたちを命がけで救い、養い、導いて下さる”良い羊飼い”として
はっきりととらえ
そのみことばを日々の生活に活かして
幸いな道を歩んでいくことができますように



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