今週のみことば


3月10日


「イエスは大声で言われた
『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく
わたしをつかわされたかたを信じるのであり
また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである
わたしは光としてこの世に来た
それは、わたしを信じる者が
やみのうちにとどまらないようになるためである
たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても
わたしはその人をさばかない
わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである」
(ヨハネによる福音書12章44-46節)


10章30節においても「わたしと父とは一つである」語られているように
イエスはご自身のことを
神が肉体を持ってこの世に来られたかたであること
そして、洗礼と聖霊による救いを持ってきてくださったことを証していますが
ユダヤ人たちにとってはそれは神への冒涜としか思えず
どんな奇跡の業を見ようとも、なかなか素直に信じることができません
また、その中には
心の中ではイエスのことを信じていても
その立場上、それを認めるわけにはいかない人も多くいたのです
実際に12章43節には
役人たちはパリサイ人から会堂を追い出されるのを恐れて
イエスを信じると告白できなかったと記されています
それは
「彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである」(43節)

誉(ほまれ)とは、良い評判とか、自分がほめられる事ですが
人から何か言われることを恐れるのが人の弱さであり
神を信じることよりも
人の言葉を優先してしまいがちです

「互いに誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは
どうして信じることができようか」
(ヨハネによる福音書5章44節)


「また、神がつかわされた者を信じないから
神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが
この聖書は、わたしについてあかしをするものである
しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」

(ヨハネによる福音書5章38-40)

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで
永遠の命を得るためである
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく
御子によって、この世が救われるためである
彼を信じる者は、さばかれない
信じない者は、すでにさばかれている
神のひとり子の名を信じることをしないからである」
(ヨハネによる福音書3章16-18節)


天地創造の神を信じることは
すなわち、神が肉体をもってこの世に来られたイエスの名を信じることです
イエスの名を信じ、その救いにあずかる者は
誰も滅びることはないとの約束がここにあります
一番大切なことはとにかくイエスを神と信じること
そして、その救いを信じ、受け入れ、その道に従うこと
すべてはそこから始まるのです

また、ヘブル人への手紙5章9節においては
イエスは、彼に従順であるすべての人に対して
”永遠の救いの源”となると記されています

「シモン・ペテロが答えた
『主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう
永遠の命の言葉をもっているのはあなたです
わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています』」
(ヨハネによる福音書6章68-69節


イエスの言葉を聞いた弟子たちの中には
その内容を信じることができず、去っていく者も多くいました
それでも12弟子たちはイエスを信じて従っていこうとしていたのです
彼らは”永遠の命の言葉”を持っている方を知っており
人の言葉ではなく、イエスの言葉に希望を置いていたのでした

わたしたちが生きるこの世にあって
色んな人が色んなことを言い
人々はそれぞれ自分が良しとする人の言葉を信じていきますが
わたしたちは、”永遠の命の言葉”を持ち
”永遠の救いの源”となってくださるイエスをかたく信じて生きる者です

多くの人は、自分の将来がどうなっていくのか知りたいと願っていても
それを明確に教えてくれる人は誰もいません
しかし、イエスの言葉を信じるこの信仰に立ち、まっすぐ生きていけば
その道が必ず幸いへとつながっていくとの確信がもてるようになり
それが日々の平安につながっていくのです

人が生きている間には
憂いや悲しみ、悩みは尽きず
どこまでいっても安心安泰はありません
この世にあって絶対という存在は神しかないこと
その神を信じて生きることこそ
本当の幸せに至る道なのだと信じて
今一度、信じることの大切さ、信じなければ何も始まらないことを認識しつつ
新しい週へと踏み出して行きたいと思います



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