今週のみことば


3月31日


「八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた
戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ
中に立って、『安かれ』と言われた
それからトマスに言われた
『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい
信じない者にならないで、信じる者になりなさい』
トマスはイエスに答えて言った
『わが主よ、わが神よ』
イエスは彼に言われた
『あなたはわたしを見たので信じたのか
見ないで信ずる者は、さいわいである』」
(ヨハネによる福音書20章26-29節)

復活したイエスに会ったマグダラのマリヤは
帰って弟子たちにそのことを報告しました
弟子たちはユダヤ人を恐れて、戸をすべて閉じていましたが
そこへイエスが『安かれ』と言って姿を現します
その時、イエスの手とわきの傷を見せられた弟子たちは
その復活を信じて喜びましたが
その時には居らず、後で話を聞いたトマスは
自分の手をもって釘の跡に触ってみなければと信じないと言うのです
すると8日後にまたイエスは現れ
トマスが望んだとおり
その手とわきの傷にトマスの指を入れてみるようにと語りかけました

イエスの死のショックとユダヤ人の迫害の恐怖
そこにイエスの復活を伝えられてもどうにも信じがたい・・・
そんな弟子たちの動揺をイエスはご存知ですから
彼らがその目をもって確かめることができるように
実際に姿を現してくださいました
そして、見ただけではまだ信じないというトマスには
もっと信じやすい方法も提示してくださったわけです

今、さまざまな問題に直面するわたしたちも
聖書のみことばを通じて神の助けを教えられながら
実際に奇跡を体験しないと信じられない、希望も持てない
という人も多いでしょう

わたしたちの主イエス・キリストは
全能の神、愛の神です
弱い人の心をよくよくご存知の上で
ちゃんと信じることができるように証を与えてくださる配慮の神
求める者には救いを与え
神が生きて働く証拠にさまざまな奇跡も見せて
この先もとにかく信じていくようにと
その道を備えてくださるのです

このような恵みをいただいたなら
その感謝は決して忘れず
姿は見ずとも信じる者として
心に確信をもって進んでいきたいものです

「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない、輝きに満ちた喜びにあふれている
それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)


そうすれば
この信仰によって神の平安が心に与えられ
色んな試練があっても心が揺らがないように
思いが神から反れないように
しっかり守ってもらえるのです

「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が
あなたがたの心と思いとを
キリスト・イエスにあって守るであろう」
(ピリピ人への手紙4章7節)

また、聖書にはすべての知恵が記されているので
これから先、どんな境遇に置かれたとしても
そこを天国として歩めるようにする秘けつが教えられます

人生は山あり谷あり
そのたびに人の心は動揺するものですが
乗り越える知恵があれば
恐れることはありません

「わたしは乏しいから、こういうのではない
わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ
わたしは貧に処する道を知っており
富におる道も知っている
わたしは、飽くことにも飢えることにも
富むことにも乏しいことにも
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている」
(同章11-12節)

人が色んな道を歩まされるうちには
多くのことを経験し、学びます
弟子たちが悩んでいるときには必ず
『安かれ』といって姿を見せてくださったイエスは
今もわたしたちの中に聖霊として宿り
常に『安かれ』と励ましてくださっているのですが
見えないから信じない・・・というのでは
心の平安から遠ざかってしまいます

洗礼と聖霊による救いを受けていても
その心にキリストの平和が満ちているとは限りません
救われてもなお
目に見えるお金や、権威ある人に望みをおいていると
その目に見える存在が消えた時にあなたの希望も消えてしまうでしょう

信仰者の進むべきは
目に見えない神を信じる道です
その心を神に向けているなら神から喜ばれ
こうして神の方を向いて信頼して進むことが神への愛の表れなのです

人はしばしば愛を求め
自分が何かもらうことばかりを考えてしまいがちですが
自分が神を愛せずにおいて
愛を求めるばかりでは、信仰の進歩がありません

願いがきかれたから自分の人生はもう安泰だと
反対に、願いどおりにならないから神はいないと
その心が神から離れていく時
本当の平安からも離れていくのです

わたしたちは天国を継ぐ者です
神のご配慮のうちにここまで生かされたならば
その”配慮”というものを自分も学んで
神に習う者となっていきましょう

そのように、目には見えない神を信じ
その心を知り、従おうとする日々は
人を必ず正しい方向へと導き
神を信じることの素晴らしさを教えます

「このようにして、キリストの日に
わたしは自分の走ったことがむだでなく
労したこともむだではなかったと誇ることができる」
(ピリピ人への手紙2章16節)


心に平和が満ちるために
神はわたしたちを召してくださいました
そして、信じやすいようにそこにはちゃんと配慮もある
人の弱さをご存知の神だからこそ
限りない愛をもって導いていただけるのだと信じて
新しい週も信仰をもって踏み出していきましょう



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