今週のみことば


4月7日


「すると、イエスは彼らに言われた
『舟の右の方に網をおろして見なさい
そうすれば、何かとれるだろう』
彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので
それを引き上げることができなかった
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに『あれは主だ』と言った
シモン・ペテロは主であると聞いて
裸になっていたため、上着をまとって飛び込んだ』」
(ヨハネによる福音書21章6-7節)

復活のイエスに出会った弟子たちは
その後、今度は漁に出かけている際に
イエスから声をかけられました
その時彼らは何の獲物も得ておらず
声をかけてきた方がイエスであることも気づいていません
そんな彼らにイエスは
もう一度、舟の右の方に網を下ろすようにと勧めます
弟子たちはその言葉に従って網をおろしてみると
今度は驚くほどたくさんの魚がとれました

元々漁師であった彼らは漁のプロですから
夜明けまで頑張っても何の収穫もないとなれば
もはやこれ以上網を下ろすことなど無駄だと思えたことでしょう
しかし彼らはイエスの言葉に従って網を下ろしました
その方がどなたであるか気づいてはいませんでしたが
彼らの心はやわらかく素直になっていたのでしょう

わたしたちが今、目の前にイエスさまの姿を見ることはなくても
そのみことばを信じ、導きがどこにあるのか知ろうとして
なおかつ開かれた道に従っていこうとするのは
ちょうどこの弟子たちの状況に似ています

このみことばで重要なポイントは
たくさんの魚がとれたという結果ではありません
大切なのは、そのみことばに従ったという信仰です
目の前に居る方がイエスだとは気づかなくても
何か心に感ずるものがあるから従ってみた
その感覚を大切にしたのだと思われます

今のわたしたちにも聖霊の導きがあり
この先には思いがけない展開が待ちうけていたり
自分の経験や考えを照らし合わせて見て
躊躇する場面もあるかもしれません
しかし、自分の狭い尺度の中で考えれば無理と思えることでも
神の導きはもっと広い範囲にあるかもしれないのです

ルカによる福音書5章には
同じように弟子たちが漁をしている記述があります
そこでも彼らは夜通し働いても何も得られなかったのですが
イエスはシモンに『沖へこぎ出し、漁をしてみなさい』と勧めました
シモンは答えます
『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした
しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』
そして、その通りにしたところ、網が破れそうになるほどの収穫があったのです

自分の力を過信する人は
傲慢になってワナに落ちたり
あるいは、自分の判断ですべてダメだと決めつけたりしがちです
自分の考えだけがすべてになってしまうと
先の道は迷うばかり
仮に自分の選択肢にはない道であっても
そこが開かれていくならば従っていくのが大切です

聖書のみことばは
ひとりひとりの人生の方向性を教え
間違いを正し
二度と間違った方向へ進まないように導きます
しかし、その道を歩むのは各々の選択であり
もう一度網をおろすもおろさないも各々の信仰にゆだねられています

年齢を重ねる間には色んな経験をし
そこにはたくさんの失敗もありながら、悔い改めることもなく
なお愚かな失敗を重ねていくのでは
残念な人生になってしまいます

時もタイミングも
すべてにおいて神はちょうどいいものを用意してくださり
正しく歩む者には決して損はさせません

あなたのことを心から愛し
常に心配して下さるのはどなたなのでしょう
変わるもの、移りゆくものを信仰の対象にすると裏切られます
不変の神に希望をおき
信頼して従っていくならば
必ず幸いな道へと導かれていきます

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません
どうか、この杯をわたしから取りのけてください
しかし、わたしの思いではなく
みこころのままになさってください」
(マルコによる福音書14章36節)


十字架という試練を前にして祈るこの祈りは
従うことの究極の姿です
すべてのことができる神は
信じる者を決して不幸にはしません
だからこそ、わたしたちも信頼して
この人生を自分の思いではなく神にゆだねていくのです

命の光(=神)にふれる時
疲れた者も元気になる
そのみことばを信じて
正しい方向へと導かれ
平安な日々を得ていきましょう



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