今週のみことば


4月14日


永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと
また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」
(ヨハネによる福音書17章3節)

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった
それは、御子を信じる者がひとりも滅びないで
永遠の命を得るためである」
(ヨハネによる福音書3章16節)

「わたしの父のみこころは
子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのです
そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」
(ヨハネによる福音書6章40節)

「偽り者とは、だれであるか
イエスのキリストであることを否定する者ではないか
父と御子とを否定する者は、反キリストである
御子を否定する者は父を持たず
御子を告白する者は、また父をも持つのである
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまっておれば
あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる
これが彼自ら約束された約束であって
すなわち、永遠の命である」
(ヨハネの第一の手紙 2章22-25節)

「そのあかしとは、神が永遠の命をわたしたちに賜わり
かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである
御子を持つ者はいのちを持ち
神の御子を持たない者はいのちを持っていない」
(ヨハネの第一の手紙5章11-12節)


これらのみことばに共通して登場する”永遠の命”とは
人が長生きをするという意味ではなく
天地創造の主である唯一の神=イエス・キリストを信じ
その救いを受けることによって得られるものであり
この命を得ることで
それぞれの人生はすべてが幸いへと導かれるというものです

ヨハネによる福音書10章30節に
「わたしと父とはひとつである」と記されているように
上記のみことばにおいても
父なる神と御子は同じだと言っているわけですが
人々はなかなかここを理解しようとしません

しかし
何も難しく考える必要はないのです
ただ単純に、イエス・キリストは、唯一の神が肉体をもった方で
人類に救い(洗礼と聖霊のバプテスマ)を持ってきてくださったのだと
信じて受け入れていけばいいだけですが
この簡単で、かつ非常に重要なポイントに
人々は目が開かれないのでした

創世記の1章では
神が「光あれ」と言われ、光ができたところから
天地創造が始まっています
その後も、すべてのものは神の言葉によって生まれました
言葉は神そのものであり、命であり
人の光となって希望を与え
闇(試練)の中にあってもサタンの惑わしに陥ることなく
勝利を与えてくださるのです

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった
この言は初めに神と共にあった
すべてのものは、これによってできた
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった
この言に命があった
そしてこの命は人のであった
光はやみの中に輝いている
そして、やみはこれに勝たなかった」
(ヨハネによる福音書1章1-5節)

「イエスは大声で言われた
『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく
わたしをつかわされたかたを信じるのである
また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである
わたしはとしてこの世にきた
それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである」
(ヨハネによる福音書12章44-46節)


人生には色々なことがあり
そこを自分の力で生きていこうにも
あまりに悩みが多く、しばしば暗闇に陥ってしまいがちです
しかもその悩みは
どうしてそんなことに悩むのか、正常であれば不思議に思うようなことでも
混乱している状態では大変な悩みとなってしまうのです

イエスを信じる信仰は
多くの宗教にあるように
人をのぼせさせるようなものではありません
むしろ、しっかり信じるほど(信仰が増すほど)人は冷静に物事がわかるようになり
正しい道がわかって
無駄なまわり道をしたり、穴に陥るキケンもなくなるのです

永遠の命の元はイエスを信じる信仰にあること
イエスこそが救い主であり、希望の光そのものであり
この世の闇を照らす神なのだということを
もうひとたび深く認識し
物質で比較する空しい人生ではなく
サタンに勝利する幸いな人生を歩む者=神の証人として
正しく、そして楽しく、神の恵みを受けて歩んでいきましょう



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