今週のみことば


4月21日


「イエスは三度目に言われた
『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』
ペテロは『わたしを愛するか』とイエスが三度も言われたので
心をいためてイエスに言った
『主よ、あなたはすべてをご存じです
わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています』
イエスは彼に言われた
『わたしの羊を養いなさい
よくよくあなたに言っておく
あなたが若かった時には、自分で帯をしめて
思いのまま歩きまわっていた
しかし、年をとってからは、自分の手をのばすことになろう
そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ
行きたくない所へ連れて行くであろう』
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために
お話になったのである
こう話してから『わたしに従ってきなさい』と言われた」
(ヨハネによる福音書21章17-19節)

よみがえったイエスは、三度目に弟子たちに現れた際
シモン・ペテロに向かって
『わたしを愛するか』と三度尋ねました
イエスが十字架にかかるとき
彼は自分がイエスの弟子であることを隠そうとし
イエスを知らないと三度答えてしまったのですが
そんなペテロに
この先どんなことがあってもイエスを愛し、従っていくことの重要性が
ここで繰り返し告げられたのです

そして、ここで約束したとおり
ペテロはイエスの福音をのべ伝える道にいそしみ
殺されるとわかっているところであっても出かけていき
迫害の中、最後までイエスの栄光のために働くのでした

「わたしたちは生きるのも主のために生き
死ぬのも主のために死ぬ
だから、生きるにしても死ぬにしても
わたしたちは主のものなのである」
(ローマ人への手紙14章8節)


ペテロはまさにこのみことばのとおり生き、そして死んでいったわけですが
「あなたが若かった時には、自分で帯をしめて
思いのまま歩きまわっていた
しかし、年をとってからは、自分の手をのばすことになろう
そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ
行きたくない所へ連れて行くであろう」

と告げられたみことばは
ペテロのみならず
現在を生きるわたしたちにも重要な意味を持っています

あなたが若い、つまりまだ信仰もよくわかっていない時には
自分の考えに従い、理想を思い描き
自分を誇るための実(結果)を望んで
思うままに生きていくでしょう
その時には、まだイエスを愛する心は育っていません
しかし
その心が育ってくれば
自分の我というものを通す道よりも
目の前に開かれた道を受け入れて進むようになります
その道はしばしば自分の望んだ道とは異なり
逃げたくなるようなこともあるのですが
そこを、己の我を殺し(自分に死ぬ)
イエスを愛し信頼する心をもち
困難の中も希望を与えられる経験を重ねることで
この先の人生、どこへ連れて行かれようとも
心が不信感で揺らぐことがないように
(イエスを愛する心を忘れないように)
やがて、本当の信仰が育っていくのです

ペテロの生き様と死に様は
その見本であり
ひとりひとりに与えられた使命の重さは違えど
方向性は同じです
それは、何か大それた生き方を求められているのではなく
各々の前に開かれた道に従って生きるという単純なもので
そこでイエスに栄光を帰し、感謝して歩む日々こそ
クリスチャンに求められている生き方なわけです

そういう日々を過ごすためには
とにかくイエスを愛する信仰がなくては何も始まりません
自分を愛し、ただ自分の誉を求める信仰をし
事が上手くいけば自分の栄光・・・というのでは
どうして神に喜ばれるでしょうか
しかし、人間の心は弱く、欲に走りがちで
だからこそ
『わたしを愛するか』と
ペテロは三度も尋ねられたのです

この後、ペテロは
”イエスの愛した弟子”がついてくるのを見て
この人の生涯が(自分と比べて)どうなるのか
イエスに尋ねています

「ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った
『主よ、この人はどうなのですか』
イエスは彼に言われた
『たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを
わたしが望んだとしても
あなたにはなんの係わりがあるか
あなたはわたしに従ってきなさい』」
(ヨハネによる福音書21章21-22節)


この言葉を聞いて
”この弟子”はイエスの再臨の日まで生きている=死なない
とのうわさが兄弟たちの間に広まりますが
それは彼らが勝手にそのように思っただけでした
重要なのは、この弟子の生涯がどうであろうとも
人は人、自分は自分
生涯イエスを愛して、それぞれの使命に忠実に生きればよいということです

人間はすぐに人のことが気になり
常に人と自分を比べがちです
しかし
人の事は気にせずに
あなたはまずイエスを愛し、その言葉に従っていく
その事を心に刻んでいきましょう

ここまで従え従えと何度も出てきました
その「従う」とは難行苦行ではなく
神にあるところの愛と恵みを得る道を教えているもので
従ってみれば証があるためその意味がわかります

また、神に従う信仰生活は
のぼせ上がって非常識になるようなものでもありません
例えば
5人の前に5つのパンが置いてあったら
仮に自分の心は2つ欲しいと言っていても
ひとりで2つ取らないことが大切であるように
何でも自分の我を通すのではなく
そこに「配慮」という神の心を意識することで
自ずと正しい行動ができるようになる
つまりは、信仰によって良識ある行動へと導かれていくのです

上記のごく単純な事例のように
人生はなかなか自分の思い通りにならないことが多く
あれもこれも手に入れようというのは無理なこと
そこで自分の欲を整理し、神の御心に従うことを第一にすることで
物事が円滑に進み
問題は解決され
結果的には自分の立場も守られて
その感謝を神に向け、栄光を帰していくという
この一連の流れをつかんでいけば
信仰生活は決して難しいものではないことがわかります

聖書の時代も、現代にあっても
同じ愛をもってきてくださる神イエスを心から愛し
平安で、幸いな日々を歩んでいきましょう



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