今週のみことば


5月19日


「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った
『主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか』
彼らに言われた
『時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって
あなたがたの知る限りではない
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて
エルサレム、ユダとサマリヤの全土 さらに地の果てまで
わたしの証人となるであろう』
こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ
雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」
(使徒行伝1章6-9節)

ここでイエスが昇天される様子を見つめていた弟子たちは
イエスがもう一度来てくださるとの約束を告げられたのち
エルサレムに帰って
みな心を一つにして祈っていました
そして、やがて聖霊降臨の日が訪れるのです

聖霊を受けることで力が与えられるとありますが
この「力」とは
各々に与えられた人生を神に従って歩む力であり
せっかく与えられた力を大切にすることで
本当に神が生きて働かれることを示す証人となることができるのです

このように
聖霊を受けた一人一人はイエスの証人として
自ら心して偶像に遠ざかり
さまざまな惑わしに陥らないように注意して歩むことが大切です

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく
御子によって、この世が救われるためである
彼を信じる者はさばかれない
信じない者はすでにさばかれている
神のひとり子の名を信じることをしないからである」
(ヨハネによる福音書3章16-18節)


「さばかれる」とは、何かバチがあたるような感じがあるかと思いますが
どんなに恵まれた環境に居ても感謝できない人なども
「さばかれている」ようなものでしょう
また、お金を頼りにし、心を寄せている人は
お金がなくなれば、希望まで失ってしまいます
このように、お金が偶像になってしまっている人もまた
「さばかれている」ようなものです

聖書の教えの基本は
光である神を第一に愛することで
正しい方向へと導かれるということ
家庭に問題が起こり、その試練を通して
その家庭に神の愛があるのかどうかが問われることもあります
お金の問題で家庭が崩壊していくか
あるいは逆に家族の結束が強まる機会になるのか
その人の心にあるものがそこで明らかになっていくのです

だからこそ
幸いな人生に聖霊の導きは欠かせません
聖霊の働きによって自分が平安になることが何より重要で
平安がないと、少しのことにもイライラしてしまうほど
人間は弱い者だからです

「すべて神から生まれた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている
神から生まれたかたが彼を守っていてくださるので
悪しき者が手を触れるようなことはない
また、わたしたちは神から出た者であり
全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている
さらに、神の子が来て
真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている
そして、わたしたちは真実なかたにおり
御子イエス・キリストにおるのである
このかたは真実な神であり、永遠のいのちである
子たちよ、気をつけて、偶像を避けなさい」
(ヨハネの第一の手紙5章18-21節)


この章では
神の御子イエス・キリストの名を信じ
洗礼と聖霊のバプテスマを受けて「神から生まれた者」となることで
イエスのもつ永遠の命をいただいたのだということ
そして、御子イエス・キリストこそ「真実な神」であることを知り
その聖霊をいただいている身、すなわち永遠の命を賜わった身なのだから
偶像から遠ざかり、自ら心して歩むべきことが記されています

わざわざ「偶像を避けなさい」と記されているのは
救いを受けてもなお人には弱さがあって
聖霊の働きよりも自分の思いを重視し
さまざまな偶像に心を寄せてしまう恐れがあるからです

人生は厳しく、問題も多々ありますが
そこを聖霊の導きによりイエスと共に歩んで
正しい方向へと進んでいきましょう
試みの時には「なぜ上手くいかないのだろう」と
ただボーっと思うだけで過ごすのではなく
問題点が明らかになり、そこに生命の光が示されるように
ただただ聖霊の力を信じて
祈っていきたいものです



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