今週のみことば


5月26日


「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて
一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった
また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ
ひとりびとりの上にとどまった
すると、一同は聖霊に満たされ
御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から
信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが
この物音に大ぜいの人が集まってきて
彼らの生まれ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを
だれもかれも聞いてあっけにとられた」
(使徒行伝2章1-6節)

イエスの復活から50日(昇天から10日)になる日
約束されていた助け主=聖霊は突然くだってきて
弟子たちはみな色々な国の言葉で神を賛美し始めました

それを見て驚いたのはユダヤ人たちです
彼らはイエスの弟子たちがガリラヤ人で
他の国の言葉など分からないと知っていました
そんな弟子たちがどうして自分たちの生まれ故郷の言葉を語っているのか
しかもその内容は無意味なものではなく
みな一様に「神の大きな働きを述べている」のですから
この事態に対してどうにも説明がつかず、ただただ驚くばかりです
すると、他の人々がこう結論付けました
『彼らは新しい酒に酔っているのだ』

これを聞いて、使徒たちは立ち上がり
ペテロが堂々と、イエスの十字架の死と、復活と、救いについて語り始めました
『この曲がった時代から救われよ』
ペテロの言葉を聞いてバプテスマを受けたものは三千人にも及んだとあります

ここで驚くべきはペテロの変貌ぶりです
かつて、イエスが十字架にかかる時
自分に被害が及ぶのを恐れて、弟子であることを隠し
3度も『わたしは彼(イエス)を知らない』とうそを言った彼は
聖霊を受けることで
臆することなくイエスの福音を伝えていく伝道者へと変わっていました
こうして
「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで
わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)

との予言は成就し
現在も、神を賛美する最高の言葉(ハレルヤ)でもって祈る時
聖霊降臨日と同じく、聖霊は各々に臨み
それぞれ知らない国の言葉(異言)で神をあがめ
常に聖霊が共に居てくださることで
力を与えられ、知恵を与えられ
それぞれの人生を幸いに生きていくことができるようになったのでした

「ダビデはイエスについてこう言っている
『わたしは常に目の前に主を見た
主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである
それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った
わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう
あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず
あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう
あなたは、いのちの道をわたしに示し
み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』」

(使徒行伝2章25-28節)

常に戦いの連続であったダビデは
何度も絶望のふちに立たされながら
常に祈り求めて、”いのちの道”を示され、助けられていきました

わたしたちもまた
どんな状況に追い込まれても
聖霊を受けて、祈り求めていくならば
聖霊が”いのちの道”を示してくださるので
心は楽しみ、希望が与えられるのです

しかし
こうして神(聖霊)と共に歩んできて
多くのものを与えられながらも
もし自分が望んでいる姿から違うところ(境遇)におかれた場合には
すでに与えられた幸いには目がとまらず
自分には何もないかのように思ってしまうかもしれません

このような思いにかられていくと
感謝もなく、更には希望もなくなって
心の中には「なぜ?」という疑問と共に議論が起こります
そして、議論しても結論が出ないので、問題の解決はなく
いよいよ不信と絶望に陥っていくのです

人にはさまざまな自分の計画や考えがあって
その中には”滅びの元”となるものも含まれています
だからこそ、”いのちの道”へと導いてくださる方が必要であり
聖霊がその役割を果たしてくれるのです

「しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているならば
あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである
もし、キリストの霊を持たない人がいるなら
その人はキリストのものではない
もし、キリストがあなたがたの内におられるなら
からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が
あなたがたの内に宿っているなら
キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは
あなたがたの内に宿っている御霊によって
あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう」
(ローマ人への手紙8章9-11節)


ローマ人への手紙7章には
人間がいくら良いことをしようと考えても
実際には自分が欲していない悪を行っている現実が語られています
そして、このようなみじめな人間に神は救いを与え
”滅びからいのちへ”と転換させてくださるのですから
再び迷いの中に戻っていくことがありませんように
前を向いて、聖霊に導かれて進んでいきましょう

過去をふり返って嘆き、神と議論すれば
その思いが自分自身をつまづかせ
生きる希望を失わせます
すでに聖霊をいただいて、いのちの道を示されていながら
なお自分の間違った考え(価値観)に引きずられていくことがありませんように
心していきたいものです

「わたしたちがイエスから聞いて
あなたがたに伝えるおとずれは、こうである
神は光であって、神には少しの暗いところもない
神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら
わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない
しかし、神が光の中にいますように
わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互いに交わりをもち
そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」
(ヨハネの第一の手紙1章5-7節)




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