今週のみことば


6月16日


「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見
また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って不思議に思った
そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め
かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては
まったく返す言葉がなかった」
(使徒行伝4章13-14節)


「美しの門」で施しを乞う足のきかない男が
”イエスの名”によって癒された後
ペテロたちは不思議がる人々に向かって言いました
『イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに
あなたがたのいま見て知っているこの人を強くしたのであり
イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で
このとおり完全にいやしたのである』(3章16節)


こうして彼らが堂々とイエスのことを宣伝するのを見て
いら立った祭司たちはペテロたちを捕らえ
役人、長老、律法学者たちを召集して
その前で尋問します
『あなたがたは、いったい、なんの権威
また、だれの名によってこのことをしたのか』(4章7節)


その時ペテロたちは聖霊に満たされ
この人が癒されたのはイエスの名によること
そしてそのイエスは
今こうして尋問している人たちによって十字架につけられたが
神が死人の中からよみがえらせたのだと
はっきりと言い放ちました
「このイエスこそは
『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである」(11節)


”かしら石”とは
建物全体をまとめ、全重量を支える一番大切な石のことですが
ユダヤ人が軽んじて捨てたイエスこそが”かしら石”となって
その名による救いを受ける者の人生を支え
その身を神の住まいとして成長させてくださるのです

「それゆえ、主なる神はこう言われる
『見よ、わたしはシオンに一つの石をすえて基とした
これは試みを経た石
堅くすえた尊い隅の石である
”信ずる者はあわてることはない”』」
(イザヤ書28章16節)

「またあなたがたは
使徒たちや預言者たちという土台の植えに建てられたものであって
キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である
このキリストにあって、建物全体が組み合わされ
主にある聖なる宮に成長し
そしてあなたがたも、主にあって、霊なる神のすまいとなるのである」
(エペソ人への手紙2章20-22節)

「主は人には捨てられたが
神にとっては選ばれた尊い生ける石である
この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって
霊の家に築き上げられ
霊なる祭司となって、イエス・キリストにより
神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい
聖書にこう書いてある
『見よ、わたしはシオンに
選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く
それにより頼む者は、決して失望に終ることがない』」
(ペテロの第一の手紙2章5-6節)


さて、ペテロとヨハネが臆することなく堂々とイエスについて話すのを聞いた人々は
彼らが無学なただの人であることを知って不思議に思うと共に
目の前に足が癒された人の姿まで見せられては
誰も彼らの言い分を否定することは出来ませんでした

そして協議の結果、彼らには
「今後イエスの名によって語らないように」と言い渡しますが
彼らはそれを受け付けず
結局、脅されただけで開放されるのです

聖霊を受けてからの使徒たちは勇ましくなり
臆することなくユダヤ人たちに対抗しました
”無学な凡人”であることは救いとは無関係であり
聖霊を受ける事によって必要な知恵が与えられるのです

しかし
世の中の人々は”学のある人”や”有名な人”を重んじ
そういう人が幸せになれるのだと思っていますが
イエスと共にある人生では
そういうものがなくても大丈夫
それぞれ置かれているところでできる最善を尽くしておれば
各々にふさわしい幸いな道が開かれていくのです

だからこそ
世の中に聞くのではなく
イエスに聞くことを第一とし
世の中のつまらないしがらみや喧騒から離れ
もっと自由に楽しく
取り越し苦労もすべて神にゆだねていく
幸いな生き方の術を学んでいくことが大切です

「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた
『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら
あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである
また真理を知るであろう
そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』」
(ヨハネによる福音書8章31-32節)


「したがって、信仰は聞くことによるのであり
聞くことはキリストの言葉から来るのである」
(ローマ人への手紙10章17節)


イエスの言葉を聞く耳を持つことが”従う”ということ
そして、従えば恵まれて
イエスという神がどのような方なのかがわかります
また同時に
信仰とは、堅苦しくてややこしいものではないこともわかります
信仰は本来
しばられているもの(世の中の価値観・考え方など)から人を解放し
平安を与えてくれるものです
決して修行でもなければ
何も得られないような空しいものでもありません

信仰を続けている人は
これまで神よりの助けや慰めをたくさん受けてきたことでしょう
自分の状態が落ち着けば
そんな過去のことも忘れてしまいがちですが
決して感謝を忘れず
自分の心に聞くのではなく
神に聞くのだという基本を外すことなく
イエスと共にある人生をいよいよ楽しんで進んでいきましょう



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