今週のみことば


6月30日


「『ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ
あなたがたは、いつも聖霊にさからっている
それは、あなたがたの先祖たちと同じである
いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか
彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し
今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった
あなたがたは、御使いたちによって伝えられた律法を受けたのに
それを守ることをしなかった』
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り
ステパノにむかって、歯ぎしりをした」
(使徒行伝7章50-54節)


多くの弟子の中から選ばれ
民衆の中で、奇跡をしるしを行っていたステパノは
イエスに反対する人々と議論し、彼らを打ち負かしました
それは、ステパノが”知恵と御霊とで語っていた”からなのですが
それに腹を立てた人々はステパノを陥れるためにウソの噂を立てさせ
律法学者や長老たちをあおって彼を捕らえ、議会に引き出します

ここでステパノは
アブラハムからモーセ〜ダビデ〜ソロモンにいたるまでの歴史を語り
神に選ばれたイスラエルの民がどれほどの恩恵を受けたのか
そして、そんな彼らが神に対して犯した間違いについて責めました
そのため、ステパノはこの後、石で殺されていきます

ステパノは真理(神の言葉)を語ったにも関わらず
律法学者たちにとってはその言葉が耳に痛く、都合が悪く
そして、対抗できなかったので、耳をおおいました
もしこの時、心を開いた人がいたなら
ステパノの語る言葉の意味はよくわかったはずです
素直に聞くことさえできれば多くのことを教えられたでしょう

ここで大切なことは
ステパノが語ったのは神の言葉であり
彼は聖霊に満たされ、神の知恵と力を与えられて語ったということ
ですから、彼を否定した律法学者たちは
聖霊を、神の言葉を否定したわけなのです

マタイによる福音書9章には
中風の者が床の上に寝かせられたままイエスのところに連れてこられた記述があります
『起きよ、床を取りあげて、家に帰れ』との言葉によって
中風の者が癒された姿を見た人々は恐れて
「こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた」(8節)
とあります

また、聖霊に満たされたステパノも
力と知恵(大きな権威)を与えられ、奇跡を行いましたが
律法学者たちは
自分の面子(都合)のことしか考えておらず
そこに神の働きを見出そうとしなかったのです
彼らは自分たちの間違いを指摘されたことで心が乱れ
本当に正しいことが分からなくなり
ステパノさえ殺せばという安易な方向へ走っていきました
しかし、ステパノが死んでもイエスの弟子は他にもたくさんいますから
そういう意味では
彼らにとってこれでは問題の根本解決にはならなかったのです

”聖霊に満たされた状態”とは
イエスを信じ、その導きに従う状態です
目の前で起こっていることが自分にとって都合の悪いことでも
これから先どのような神のご計画があるのかを思い
自分のやっていることが間違いだと指摘されるようなことがあれば
面子を捨てて、素直に従うことが大切です

ステパノが殺された時
その様子を見ていたパウロ(当時はサウロ)は
イエスを迫害する立場に居たものがいきなりイエスに捕らえられ
全く反対の立場とせられていきます
そのため、彼はそれまで持っていた自分の地位(面子)を全て失いましたが
そうなってみて、それがどんなに幸いなことだったかに気づきました

「ただ彼らは『かつて自分たちを迫害した者が
以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている』と聞き
わたしのことで、神をほめたたえた」
(ガラテヤ人への手紙1章24節)


これはパウロの語った言葉です
人がこんなにも変わることができる
それは大きな証でした

実際問題、人は自分が変わりたいと思ってもそれは簡単なことではありません
わたしたちの歩みもまた
過去がどのような状態であれ
今、神の前に正しく生きようとしていて
それを見た人々が、その変化ゆえに神を信じるようになることが
一番大きな証です

人間は弱いので
なかなか自分の都合や面子を捨てることはできなくても
問題に直面した時
ただパニックになり、大切な言葉に対して耳をふさぐことがないように
まずお祈りして、神のご計画を思い
自分のできる最善を尽くしていくことができたら幸いです

車を運転する人は
日ごろから「黄色の信号では止まる」ということを心がけていれば
まず信号無視をすることはないでしょう
しかし、そういうはっきりとした気持ちを持っていないなら
赤信号でもずるずると渡ってしまうかもしれません

信仰もまた、日ごろの「心がけ」が大切です
何が起きても失望しないこと
パニックに陥って神を見限らないこと
世の中の権威(人間の力や財力)に頼ろうとしないこと
つまりは、神から離れないこと
これらを心がけて祈っていけば
いざという時に自制心が働き
腹が立っても抑えることができて
その場を上手くおさめる知恵も与えられるでしょう

長年信仰生活を続けている人でも
人を見て、人に助けられて、人を中心に生きてきた人は
人に依存する習慣になっており
本当の信仰が育っていきません
そして、熱心に教会に集っているようで
実は神を見出すこともできず
結局、人の力や財力をあてにして生きる世の中の人と
同じ生き方になってしまうのです

今、目の前に辛い問題があっても
これまで与えられた数々の助けを思い起こし
神を信頼していくことを心がけているなら
先に希望を見出すことができます
すべての事を益としてくださる神が共に歩んでくださることを信じ
新しい週も心新たに踏み出していきましょう




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