今週のみことば


7月14日


「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら
大祭司のところに行って、ダマスコの諸教会あての添書を求めた
それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なくしばりあげて
エルサレムに引っぱって来るためであった
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき
突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした
彼は地に倒れたが、その時
『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた
そこで彼は『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねた
すると答えがあった
『わたしは、あなたが迫害しているイエスである
さあ立って、町にはいって行きなさい
そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』」
(使徒行伝9章1-6節)


イエスを信じる者たちを迫害することに熱心であったサウロ(=パウロ)が
突然イエスによって捕らえられた瞬間です
彼は天からの光によって目が見えなくなり
その後は、イエスの言葉に従ってダマスコへ入っていきました

一方ダマスコにはアナニヤというイエスの弟子がいましたが
これからサウロのところへ行くようにと命ぜられ驚き恐れます
何しろサウロは自分たちを迫害する敵なのですから、、
しかし、イエスの命ぜられたことにアナニヤは従います
サウロに会って、彼の上に手を置くと
彼の目は再び見えるようになり
バプテスマを受けて救われ
その後、ダマスコの諸会堂で”イエスがキリストであること”を説いていくのでした

サウロの変貌ぶりにはみな驚きかつ怪しみ
実はここへきたのもイエスを信じる者たちを捕らえるためではないかと疑いますが
サウロは”ますます力が加わり”
イエスがキリストであることを論証し
ダマスコに住むユダヤ人を言い伏せたと記されています

天からの光で目が見えなくなったサウロは
『さあ立って、町にはいって行きなさい』
と告げられました
目が見えず、ひとりで歩くこともできず
これから何が起こるのか何もわからないまま
まずは立ち上がり、その言葉に従って歩み始めるサウロ
そして従った先には、彼の進むべき道が用意されていて
そのまま素直に救いを受けたサウロは
これまでとは180度転換した教えを伝える者として新た出発するでした

イエスの名による救いを受け
それまでの律法に従う生活から
イエスの言葉に従う生活に変わったサウロは
聖書の知識を、イエスに敵対するために用いていたのが
ユダヤ人にイエスを正しく伝えるために用いるようになり
本当に神の側に立つ歩みができる、神の教えどおりに進む人になっていきます

また、それまでもサウロは多くの知識と能力を持った人がでありましたが
イエスによって”ますます力が加わり”
ユダヤ人たちを言い伏せています
ここでサウロに力が加わったのは
怒ったり、力んだりしたのではありません
サウロは救われることにより、彼の持っている良い面が引き出され
いよいよ言葉に力が増したのです

この一連のサウロの変化を見る時
わたしたちは、自分の身に災いが起こるとき
そこからいかに立ち上がるべきかを教えられます
一瞬にして目が見えなくなったサウロが
イエスの言葉に従ったように
物事が上手くいかず、先行きが暗く行き詰った状況になった時
大切なのは、そこで聖書のみことばを思い出すことです
ところが、みことばを思い出すよりも、怒りが先に来ると
怒りは正しい判断を狂わせてしまうので
進むべき方向も見えてきません

今、目の前には悪いことしかなっていないように見えても
神に対して怒るのではなく
良いことも悪いこともすべて神のご計画のうちに起こることであり
神を信じ、従っていけば(自分のするべきことをやっておれば)
必ず進むべき正しい道が教えられる
そのように先に希望を見出していくのが信仰者の生き方なのです

もし神が共に居てくださらなければ
自分にはこんなことは起こらなかったと思える幸いな体験を持てば
いよいよ信仰が堅くされて
この先また問題が起きたとしても
さらに強くなって乗り越えていけるでしょう

わたしたちは神を信じつつも
なお世の中の価値観に翻弄され、この世の旅路でさすらう者です
サウロはイエスに出会い
さすらいの旅から抜けて、新しい人生を歩み始めました
それによって彼は多くのもの(地位や名誉)を失いましたが
そういうものに固執していることの愚かさも知り
本当の幸いを得ていきます

このように、神と共に、神に立って生きる道を選んでいくなら
なすべき事は必ず教えられ、導かれていくのですが
そこに神を信じる心がなければ
導きを感じることもできません
ですから、自分の心をいかに保っていくのかが
重要な課題となっていくわけです

ピリピ人への手紙4章7節では
何事も思いわずらうことなく
ただ感謝をもって祈りと願いをささげていくなら
神の平安が、あなたがたの心と思いとを
キリスト・イエスにあって守ると記されています

このように
信仰の世界には何か難しい理屈があるわけではなく
イエスの名による洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われ
神の言葉を教えられて、それを支えとし
聖霊の祈りと導きによって正しい方向へと歩まされる
そこには必ず神の働きによる結果(証)があるので
わたしたちはただそれを感謝して
感謝に感謝を重ねながら
いよいよ神を信じて進んでいくのです

こう考えれば
信仰することは難しいことではないのですが
自分の考え方や価値観をガラリと変えなくてはならない場合も多々あるので
結局はこれが難しいのだと思います
そして
誰にも増して大きな変化をとげたのがサウロ(パウロ)であり
神によって心を変えられることがいかに大切ですばらしい事かを
わたしたちはここから教えられるのです

「わたしを強くしてくださるかたによって
何事でもすることができる」
(ピリピ人への手紙4章13節)


「ところが、主が言われた
『わたしの恵みはあなたに対して十分である
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』
それだから、キリストの力がわたしに宿るように
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」
(コリント人への第二の手紙12章9節)




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