今週のみことば
7月21日
「『預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく
その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています』
ペテロがこれらの言葉をまだた語り終えないうちに
それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった
割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは
異邦人にも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた
それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである
そこでペテロが言い出した
『この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには
彼らに水でバプテスマを授けるのを、誰がこばみ得ようか』
こう言って、ペテロはその人々に命じて
イエス・キリストの名によってバプテスマを授けさせた
それから彼らはペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった」
(使徒行伝10章43-48節)
カイザリヤにコルネリオという名の信心深い百卒長がいました
ある日、彼の元に神の使いがあらわれて
ペテロを家に招くようにと命じます
一方、ペテロにも神の声があって
『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』
と告げました
そして、そこへコルネリオからの使いがやってきて
ペテロは彼の家へと出かけていくのでした
当時はまだユダヤの律法に人々がしばられていて
ユダヤ人が他国の人と交際したり出入りすることは禁じられていたのですが
ここでペテロは異邦人であるコルネリオとその一族や友人が集まる家に行き
『神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと
わたしにお示しになりました』(28節)と告げます
そこでペテロは集まった人々に対して
神は人をかたより見ないかたで
神を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れてくださることと
イエスの名による救いを述べ伝えました
すると、これを聞いていた人たちに聖霊がくだり
彼らは異言で神をさんびし始めます
こうして異邦人にもイエスの名による救いが伝えられていったのです
そして今日、わたしたちもまた異邦人ではありますが
同じイエスの名による救いにあずかり
イエスが共に居てくださる(歩んでくださる)クリスチャンとして
新たに生まれ変わるチャンスを与えられたのでした
こうして救われたひとりひとりの人生はみな異なるものですが
その日々の生活にあってもイエスは共に歩みつつ
ちょうどいい助けと、喜びを与えてくださると同時に
サタンから遠ざかる道を歩むように導いてくださいます
この世に住む間は
たとえイエスの名による救いを受けたクリスチャンであっても
人間はみなサタンの惑わしにあい、時にはほんろうされるものです
しかし、イエスと共に歩むならば
間違いに途中で気づき、速やかに方向転換することができるのです
ただし、そのためには
しばしば自分の面子を捨てることも必要となってきますから
それができるかどうか、つまりは
自分の面子にしがみつかないですべてを神にゆだねることができるかどうか
いろいろと試みもあることでしょう
自分の面子にこだわると
神との距離は開き
感謝も生まれてきません
ではわたしたちは恥をかくのでしょうか
いえ、決してそのような目にはあわせないように神は必ず配慮してくださることも
実際に踏み出してみるとわかります
人間には先のことが何もわからないので
すべてのことは不安です
しかし、上手くいくこともいかないことも
それはすべて神の権威に属するものであることを知り
神の前にへりくだっていけば
神は決して恥をかかせることはないのです
「順境の日には楽しめ
逆境の日には考えよ
神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために
彼とこれとを等しく造られたのである」
(伝道の書7章14節)
人生には良いことも悪いことも
両方あることで人は成長していきます
自分自身に成長していく気持ちがあれば
そこに神の助けが加わって
色んな試練にも勝利できるでしょう
その人を生かし、人生に花を咲かせ、豊かな実を生らせる道は
イエスを神と信じ、その名による救いを受けて
その教えに従っていく道です
過ぎたことを悔やむのではなく
また上手くいかなかったことを恨むのでもなく
常にこの先の人生をどう生きるのかを考えて
神と共に前を向いて進んでいきましょう
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