今週のみことば


9月15日


「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く
あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない
ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは
投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ
しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜った
神の恵みの福音をあかしする任務を果し得さえしたら
このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない」
(使徒行伝20章22-24節)


エルサレムに向かって旅立つ前に
パウロは、エペソの教会の長老たちを呼び
自分の身にこれから起こることへの覚悟と
教会に起こることについての戒めを語り告げました

これまで熱心に
神に対する悔い改めと、主イエスに対する信仰を強く勧め
『神の御旨を皆あますところなくあなたがたに伝えておいた』
と語るパウロですが
この先、聖霊に導かれて(迫られて)出向くエルサレムでは
どんなにか大変な苦労が待ち構えていることも
彼にはすでに教えられていたのです
それを承知の上で、覚悟の上で、なおも従って進んでいく
それは信仰者の究極の姿でもあります

「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中に入り込んできて
容赦なく群れを荒らすようになることを、わたしは知っている
また、あなたがた自身の中からも
いろいろ曲がったことを言って
弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起こるであろう
だから、目を覚ましていなさい
そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって
あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい
今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる
みことばには、あなたがたの徳をたて
聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」
(使徒行伝20章29-32節)


こうして懸命にパウロが正しい福音を伝えても、教会には
”狂暴なおおかみ”や
”曲がったこと”言って惑わす者があらわれることも
この時すでに知らされていたのでした

だからこそ、しっかりと目を覚まし
教えられたことを忘れないように注意して進むべきことと
”主とその恵みの言”に従うことで
天国を継ぐ者として成長するように
強く勧めたのです

そして最後に
こう言ってパウロはそこを去っていくのでした
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと
また”受けるよりは与える方が、さいわいである”
と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを
万事について教え示したのである」(35節)


この先に大きな苦労が待っていると知っていても
聖霊に迫られて出て行ったパウロのように
わたしたちにもまた
各々にふさわしい道が用意されていて
それは決して自分の望んだ道でもなければ
その先には様々な苦難があるとしても
”主とその恵みの言”を信じ、従って歩むべきことが定められています

人はそれぞれ理想を求めて歩んでいますが
どんな人にも必ず悩みや苦しみはあり
人生とは決して思うようにはいかないものです

それでも
どんな辛いところにおかれても
落ち込むことはあっても
わたしたちには祈るという方法があります
「動き」があるまで信じて祈ることが大切です

なぜなら
神は試練を通して
わたしたちが何者であるかを教え
そのレベルがわかるようにされるからです
それがわかれば傲慢になることはありません

その上でなおも祈っていけば
各々の能力が生かされる道が開かれ
更に祝福が増し加えられて
ちょっとしたことからでも大きな幸いにつながっていくのです

”狂暴なおおかみ”や
”曲がったこと”言って惑わす者が存在するこの世の中で
それらに負けないで生きていくには
神の言葉をしっかり内側に持っておく必要があります
神の言葉は人に知恵となり力となって
常に幸いへと導いて下さるからです

苦難の中に置かれる時
その人は惨めに思えるかもしれませんが
病気であろうと、大きな問題を抱えていようと
自分の本当の姿と向き合い
神の支えを信じて正直に生きる道を選び
自分の面子を捨てることさえもいとわなければ
それはちょうど自分の使命のためには命を惜しまなかったパウロのように
神の前に喜ばれる生き方です

このように
”主とその恵みの言”に従うことで
人は「良い実」を実らせる木として
天国を継ぐにふさわしく成長することができるのです

ですから
今どんな状況にあっても
決して落胆しないで、あきらめないで
祈っていきましょう

その人が神にあって本当に恵まれているのかどうかは
外観が問題なのではなく
試練の中でどう神に従って平安を得ているか
その内側の成長が問われているのです

更には
自分では想像もしなかった幸いな道がそこから開けていき
「神の証」としての実が生る
良い実(結果)が生み出されることで
その人が正しく成長しているとわかるのです

「すべて良い木は良い実を結び
悪い木は悪い実を結ぶ
良い木が悪い実をならせることはないし
悪い木が良い実をならせることはできない」
(マタイによる福音書7章17-18節)


15節には
羊の衣を着た強欲なオオカミである偽預言者を警戒するように
と記されています

偽物や惑わす者が横行するこの世にあって
闇から光へと救いだされたわたしたちは
良い実のなる良い木として成長するために
いよいよ神の言葉に従って歩んでいきましょう

「神は、わたしたちを闇の力から救い出して
その愛する御子の支配下に移して下さった
わたしたちはこの御子によってあがない
すなわち、罪のゆるしを受けているのである」
(コロサイ人への手紙1章13-14節)




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