今週のみことば


9月22日


「すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判の良い
アナニヤという人が、わたしのところにきて、そばに立ち
『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った
するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた
彼は言った
『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ
かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった
それはあなたが、その見聞きした事につき
すべての人に対して、彼の証人になるためである
そこで今、なんのためらうことがあるだろうか
すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い流しなさい』」
(使徒行伝22章12‐16節)


エルサレムに到着したパウロは
宮の内で群衆に捕えられ、外に引きずり出されました
そこで殺されそうになっているところへ千卒長がやってきて
群衆の暴行を避けるためにパウロを連行しようとしたので
パウロは、自分が何者で、
どういう経緯でここにいるのか弁明を始めます

彼がタルソ生れのユダヤ人であること
先祖伝来の律法について厳しい教育を受け
かつてはイエスをキリストと信じる人々を迫害してきたこと
それが、ある日突然イエスに捕えられて目が見えなくなり
イエスの指示に従って
アナニヤのところで直ちにバプテスマを受け回心したこと
その後、イエスの名による救いを異邦人へ伝えるよう命じられたことを
次々話していきましたが
パウロの言葉を誰も受け入れようとはしませんでした

パウロ(サウロ)が強い光によって目が見えなくなった時
『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかけたイエスの言葉は
パウロ以外の人々には聞こえなかったと9節に記されています
彼らは強い光は見たので、何かが起こったと気づいても
それが具体的に何なのかは知らされなかったのです

感覚的には、何か起こっていると思っても
神の言葉が聞こえなければ、この先どうすれば良いのかわかりませんが
『主よ、わたしは何をしたら良いでしょうか』と尋ねたパウロには
『起きあがって、ダマスコに行きなさい
そうすれば、あなたがするように決めてあることが
すべてそこで告げられるであろう』(10節)との答えがありました

嫌なこと、困ったことが起きた時
わたしたちはまず祈ることが必要です
各々これから進むべき道はすでに決められてあり
目の前に開かれていくその道に従って行くならば
どんなに悲しく辛いことであっても
そこを通り過ぎ、強くなることができるのです

それは
パウロが神に選んでいただいたように
わたしたち異邦人もまた
その救いを受けた者はみな神に選ばれた民
すなわち
パウロと同じく
その生涯を通して神の証人として用いられるように
特別に神の憐れみをもって選んでいただいたのです

そういうわけなので
この選んでいただいた理由を勘違いして
自分を誇り、自分の面子を守ることに熱心にならないように気をつけましょう

「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する
主はわたしを忠実な者と見て、この務めに任じて下さったのである
わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった
しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかった時、無知なためにしたのだから
あわれみをこうむったのである
その上、わたしたちの主の恵みが
キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた
『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来て下さった』という言葉は
確実で、そのまま受け入れるの足るものである
わたしは、その罪人のかしらなのである」
(テモテへの第一の手紙1章12‐15節)


これもパウロが書いた手紙ですが
これらを読んで、ただ単にパウロの物語として終ってしまったのでは意味がありません
聖書のみことばはすべてわたしたちの生活にあてはまっていくものです
そのように教えられていかなくては
何をもって自分の道しるべとするのでしょうか

愛の神は、異邦人にも同じ愛をそそぎ
救いを与えて下さいました
そして、その行く先にはさまざまな試練があっても
信仰をもってその道に踏み出す者は
必ず必要な助けや知恵や力が与えられる
それを見る人が皆
「この人には神さまがついている」
そう思うような幸いな生き方ができる人を神の証人と呼びます

自分の願いがかなうことがすなわち神の証人なのではなく
どのような状況下でも信仰を忘れず
神の導きに従って前を向いて進んでいこうとする人の潔さと
そこに起こる数々の不思議な出来事が
神が本当に生きて働いてくださることを証明するのです

自分にとって本当に幸いな道に導いていただけるように
自分はこうあるべきと決めてしまわないで
自分はこれからどうすればいいのかと
聖書のみことばを通して
日々の生活を省みていきましょう



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