今週のみことば
10月19日
「わたしがすでにそれを得たとか
すでに完全な者になっているとか言うのではなく
ただ捕えようとして追い求めているのである
そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである
兄弟たちよ、わたしはすでに捕えたとは思っていない
ただこの一事を努めている
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ
目標を目ざして走り
キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである
だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである
しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら
神はそのことも示して下さるであろう
ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである」
(ピリピ人へ手の手紙3章12-16節)
ここは先週の続きになっている箇所です
かつて、自分の血筋や地位や行いを誇りとしていたパウロは
キリストによる救いを受けて、本当の神を知れば知るほど
人間が誇りとする家柄や地位や財産や名誉といった「肉」に属するものが
神の圧倒的な素晴らしさに比べて何ともつまらないものであるか
それがよくわかるようになりました
パウロは、ユダヤ教時代には修行によって救われる道を模索していましたが
イエスに捕えられて、修行によらない救いの道を教えられ
その後いよいよ神に近づこうと求めていきます
洗礼と聖霊のバプテスマによって救われても
その心が変えられて「神に似る者となる」というクリスチャンの目標が達せられたわけではなく
いかにもして到達したいと常に追い求めて
”後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばし”ていくのです
つまり、せっかく救われたというのに
今さら昔を懐かしみ、朽ちていく「肉」に属するものを重視すれば
また世の中に左右される不安定な道を歩むことになるでしょう
そんな滅びの道から離れ
死者の中からの復活に達したいと願うパウロの歩みを
わたしたちクリスチャンはまねていく必要があります
「イエスは言われた
『手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくない』」
(ルカによる福音書9章62節)
世の中には競争がつきものですが
神の国には競争はなく
みなそれぞれ神によって置かれたところで成長することが重要です
言いかえれば
各々の力に応じた人生が与えられるので
何もあくせくすることはありません
大切なのは
自分の道を進み、到達したところで感謝していくこと
信仰は競争ではなく
自分が置かれた場所で
いかにサタンから来る不安や惑わしといった戦いに勝利するかが
信仰の目的なのです
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている
それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)
わたしたちは洗礼と聖霊とによる救いを受け
キリストに望みをおく信仰生活を歩むことで
誰もキリストの姿を見たことはなくても信じ、喜びを与えられて生きています
「兄弟たちよ、どうかわたしにならう者となってほしい
また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに目をとめなさい
そう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである
わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが
今また涙を流して語る
彼らの最後は滅びである
彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである
しかし、わたしたちの国籍は天にある
そこから、救い主、主イエス・キリストのこられるのを
わたしたちは待ち望んでいる
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって
わたしたちの卑しいからだを
ご自身の栄光のからだと同じ形に変えて下さるであろう」
(ピリピ人への手紙3章17-21節)
キリストの救いを信じることなく
自分の力を誇りとして生きていく人々が多い中
わたしたちは、キリストの心を心とする良心的な歩みをする人に目を留め
その歩みを整えていきましょう
この世の中で、人をびっくりさせる者になろうとすると
その道は滅びに向かっていきます
本来自分が進むべき道に歩み
それぞれの歩みのうちで最善をなしていけば
神はその道を祝して下さいますから
神にあって「あるがまま」の自分で歩むことが大切です
「また知性が腐って、真理にそむき
信心を利得と心得る者どもの間に
はてしのないいがみ合いが起こるのである
しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」
(テモテへの第一の手紙6章5-6節)
信仰の道を利得の道と考える人は
もはや真理=神から離れた者ですが
信仰の道を歩み、足ることを学ぶのは大変益になることです
神の前に自分を低くしていく時
必要なものは必ず増し加えられていきますから
与えられた中で感謝して進んでいきましょう
「到達したところ(置かれたところ)で感謝していく」
このような歩みを神は必ず祝して下さいます
<目次