今週のみことば


12月7日


「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから
上にあるものを求めなさい
そこではキリストが神の右に座しておられるのである
あなたがたは上にあるものを思うべきであって
地上のものに心を引かれてはならない
あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは
キリストと共に神のうちに隠されているのである
わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には
あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲
また貪欲を殺してしまいなさい
貪欲は偶像礼拝にほかならない
これらのことのために、神の怒りが下るのである
あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には
これらのことをして歩いていた
しかし今は、これらいっさいのことを捨て
怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨ててしまいなさい
互いにうそを言ってはならない
あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て
造り主のかたちに従って新しくされ
真の知識に至る新しき人を着たのである
そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人
スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」
(コロサイ人へ手の手紙3章1-11節)

イエスの名によるバプテスマを受けてキリストと共に一度葬られ
同時に、彼と共によみがえらされたクリスチャンは
以前のように「地上のもの」に目を向ける日々から
「上にあるもの=神の国」を思っていくように
その思いが変えられていかなくてはなりません

”地上の肢体、すなわち
不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい”

とあるように
この地上にはこれらのものが満ちていて
救いを受けた者は、なお地上に住み続けていても
心はここに戻って行ってはならないからです

この中の「貪欲」とは
人の心に潜む飽くことのない欲望を示しており
これは、神ではなく自分の心を第一とする状態ですが
そもそも偶像とは、神の代わりに形作られた像を指すばかりでなく
自分の心に仕えていることも偶像礼拝なのです

「地上のもの」に目を向ける日々からは
常に人と比べることや、争い、ねたみが生れ
そこから”怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉”
数々の”ウソ”も生じてくるでしょう

一度、キリストと共にこの世に死んだクリスチャンは
古い自分を脱ぎ捨てて
造り主に似た新しい人として
キリストにあるすべての知恵と知識に至るよう生まれ変わったのですから
日々の生活を通して
本当に大切なことを知り
自分の思いに執着するわがままな自分から目覚めて
心豊かな新しい人に変えられていくことが大切です

実際に、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人は
常に不満を抱えており
自分自身が苦しい思いをしていますが
もし、どんな結果でも受け入れることができれば
どんなに楽に生きれることでしょうか

このように
その人の魂が成長する=心豊かな人になることで
人からも愛される人となり
いよいよ平安な日々を送ることができるようになるのです

そうなるために大切なのは
常に神との距離を近く保つこと
そのためには自分のプライドを捨てていく
すなわち「己に死ぬ」ことが必要です

「わたしたちは、この事を知っている
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた
それは、この罪のからだが滅び
わたしたちがもはや罪の奴隷となることがないためである
それは、すでに死んだ者は罪から解放されているからである
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら
また彼と共に生きることを信じる
キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく
死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである」
(ローマ人への手紙6章6-9節)


キリストと共によみがえりにあずかっている者には
もはや死に支配されることはありません
地上には絶望が満ちていて、それが人の心を死に追いやるのですが
キリストと共に生きる者には希望があり
様々な困難を通されるうちにも
ふりかえればすべてのことが益とになるようにして下さるので
決してダメになっていかないのです

このような神の助けがあると確信する信仰こそがクリスチャンのすべてであり
この信仰によってわたしたちは救いに入れられました
ガラテヤ人への手紙3章には
わたしたちは決して律法の行いを守ったからではなく
このイエス・キリストの救いを聞いて信じたからだと
繰り返し記されています

自分が何か立派な行いをしたからというのではなく
また人種等なんの差別もなく、すべての人に平等に与えられるこの救いによって
わたしたちは古い自分から新しく生まれ変わる幸いを得ました

それでも人間はこの肉体を持つ限り弱さも持ち続け
自分かわいさゆえに自分に甘くなり
「地上のもの」に惑わされて
相変わらず自分の心を中心とした
自分に栄光を帰する歩みをしてしまうかもしれません
これではせっかくの「上にあるもの」を味わうことができず
仮に金銭的に豊かになったとしても
心が満たされない貧しい状態になるでしょう

自分の理想は色々あるとしても
まず神によって開かれる道に進むことを第一としていれば
あくせくすることもなく
結果的には必ずその人にあった良い方向へと導かれるので
自分の心も満足し
感謝して神に栄光を帰することができるのです

しかし
この簡単なことが実は一番難しいので
各々が自分の心に良い信仰の種をまいて
その心が神に向き、その道に従っていくことができるように
信仰を大切に育てていきましょう

「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから
あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい
互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい
主もあなたがたをゆるして下さったのだから
そのように、あなたがたもゆるし合いなさい
これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい
愛は、すべてを完全に結ぶ帯である
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい
あなたがたが召されて一体となったのは、このためである
いつも感謝していなさい」
(コロサイ人への手紙3章15節)




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