今週のみことば
12月14日
「主人たる者よ、僕を正しく公平に扱いなさい
あなたがたにも主が天にいますことが、わかっているのだから
目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈りつづけなさい
同時にわたしたちのためにも
神が御言のために門を開いて下さって
わたしたちがキリストの奥義を語れるように
(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)
また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい
今の時を生かして用い
そとの人に対して賢く行動しなさい
いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい
そうすれば、ひとりびとりに対してどうこたえるべきか、わかるであろう」
(コロサイ人へ手の手紙4章1-6節)
3章の終わりには
結婚式で読まれる「夫婦に対する教え」や
親子、あるいは主人と僕といったさまざまな人間関係において
心すべきことが記されています
ここでは、上の立場の人は
キリストの心をもって、相手を侮ることなく、愛していくこと
また、仕える立場の人は
キリストに従うように、目先だけではなく真心を持って仕えるようにと
色々な立場に立った生き方が教えられているわけです
3章21節に
「父たる者よ、子どもをいらだたせてはいけない
心がいじけるかもしれないから」
とあるように
感情のまま行動すると決して相手の益になりません
では親はどのように子どもを教育すればいいのでしょうか
その答えはエペソ人への手紙6章4節に出てきます
「父たる者よ、子どもを怒らせないで
主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」
「薫陶」とは、人徳・品位などで人を感化し、よい方に導くこと
「訓戒」とは、教え諭すこと
つまり、ここでは「主の薫陶」ですから
キリストの徳や品に習うように子どもを教育する
すなわち、子どもをキリストに結びつける教育が重要だということです
しかし、人間は感情が先立ち
自分の頑張りだけでは冷静な対処も難しい
だからこそわたしたちは聖霊の助けを得て人を教育し
あるいは人に仕え
各々の立場にあった正しい生き方を教えてもらわなくてはならないのです
4章6節には
「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」
とあるように
わたしたちの口から出る言葉も
「塩」が加わることで、相手に与えるものが変わってきます
言葉は用い方によって人を怒らせもすれば安堵もさせます
何かを伝えたい時には知恵が必要で
神から来る知恵を持って語れば
その言葉は相手の心に響き、生きてくるでしょう
ここに出てくる「塩」とは、神の知恵であり
またその知恵を与える聖霊であるとも言えます
「塩は良いものである
しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか
あなたがた自身の内に塩を持ちなさい
そして、互いに和らぎなさい」
(マルコによる福音書9章50節)
様々な食材が、塩によって良い味が引き出されていくように
わたしたちの個性も「塩」によって生かされていきます
しかし、救いを受けたクリスチャンであっても
その内側の「塩」が十分に生かされていなければ
つまり、自分の考え(感情)や頑張りを第一としている時には
やがて行き詰まりを感じ、大きな不安を感じるようになるでしょう
それでなくても
心の弱いわたしたちは信仰も弱く
何かあればすぐに不安になって悩んでしまいますが
先の見えない不安に押しつぶされそうになる時
それがどんな状況であっても
内側の「塩」を思い出す人は幸いです
ルカによる福音書15章の『放蕩息子』の話において
行き詰った末、父を思いだした息子は
己を低くして家に帰って行きました
心配していた父は喜んでこの息子を迎えますが
長男はその様子を見て、自分の方が損だと腹を立てます
悔い改めた放蕩息子を許した父は
長男にも十分なものが与えられることを思い出させ
こうしてそれぞれに必要な教育をしていくのでした
放蕩息子が父の事を思い出しても
もし、自分の面子を重視するなら
彼は家に帰ることもできなかったでしょう
せっかく父が居ながら助けを受けることもできない状態
それはちょうど「塩」が役に立っていない状態を示しています
問題が起こり、大きな不安に見舞われた時
また、自分の行く先に迷っている時
わたしたちが一番に思い出すのが神でないなら
せっかく内側に持っているはずの「塩」が生かされません
これはとてももったいないことです
「最後に言う
主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい
悪魔の策略に対抗して立ちうるために
神の武具で身を固めなさい」
(エペソ人への手紙6章10-11節)
世の中の多くの人は損得勘定で動き
目先のものに心を奪われがちです
このような惑わしに負けず、本物を見極めていくために
神の武具(信仰)を身につけて
不安という敵と戦っていきましょう
自分で自分を飾り、強く見せようとしなくても
聖霊があれば
自然とちょうどよく飾られていきます
人間的な策略ではなかなか上手くは行かず
それに比べて、神の恵みはいつもその人にちょうどいい
どうしようもない時に心を立て直し
気持ちが切り替わっていくように
そのために「塩」がしっかりきいている日々を送っていきたいものです
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