今週のみことば
12月21日
「神に愛されている兄弟たちよ
わたしたちは、あなたがたが神に選ばれている事を知っている
なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき
それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである
わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか
あなたがたの知っているとおりである
そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受け入れ
わたしたちと主にならう者となり
こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった」
(テサロニケ人への第一の手紙1章4‐7節)
テサロニケ人へ手紙を書くにあたって、パウロは
自分の説得力ではなく、聖霊による働きがあるからこそ
このように福音はみんなの間に広まり
どんな苦しみの中にあっても
聖霊による喜びを持って勇気づけられ
キリストにならう歩みができるのだということを強調しつつ
更には、彼らの歩みが信者全体の模範となっている事を喜んでいます
実際に、テサロニケの人々が偶像を捨てて、生ける真の神に立ち帰り
いかにキリストに希望を置いて歩んでいるかを
周りの人々が見て、自ら言い広めていたのです
聖霊の力による伝道活動について、ローマ人への手紙15章18‐19節にも
パウロは以下のように記しています
「わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて
言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さった事の外には
あえて何も語ろうとは思わない」
多くの人は、自分が努力した結果について誇ろうとするものですが
パウロは、異邦人の心が開かれていくことについて
それはすべてキリストが自分を用いて下さったからであり
聖霊の力によってなされたことだとよく知っていました
「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし
聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」(同章13節)
人の心が開かれるかどうかは
人的な作戦によるのではありません
困難の中にあっても聖霊による喜びと平安を与えられ
希望を持って歩む人の姿を見ることが
最も人の心を動かすのです
このようにして
”キリストにならう者”の歩みは
周りの人々の良い模範となっていくのでした
また、人を導く役割を担うパウロ自身も、キリストにならう者であり
そんなパウロを見て、見習おうとする人々が
そのまま正しくキリストにならう者となっていくのは
パウロは自分を偉い者とせず
常に”群れの模範”となることを心がけていたからです
「また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで
むしろ、群れの模範となるべきである」
(ペテロの第一の手紙5章3節)
パウロは決して権力者になることはなく
むしろ、誰にも負担をかけまいと、日夜苦労して働き続けました
こうして、人から持ちあげられる立場になっても
全く思いあがらず
神に用いられているからこその自分の立場を忘れないパウロは
自分にできる範囲の仕事をしながら
その持ち味がいよいよ生かされ
自然と周りに良い影響を与えていくのでした
テサロニケ人への第一の手紙1章9節には
「あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り
生けるまことの神に仕えるようになり」
と記されていますが
”偶像”とは、造られた像のみならず
自分の心の中に起こる”神に反する思い”でもあることを
ここで思いだして下さい
人の中には
自分が一番と思い、人の上に立とうとする”思い”が潜んでいます
そして、自分を誇り、どうだ!という思いが、すなわち偶像となるのです
この類の偶像崇拝をしていると
相手を思いやる心が欠如し
”キリストにならう”歩みからも遠ざかってしまいます
人にはそれぞれ個性があって、持ち味は違いますが
短所は誰にでもあるとしても
その良い所が生かされて
それが周りに良い連鎖を生んでいくなら
そこには本当の平和が満たされていくでしょう
”キリストにならう”あゆみは
周りと和らぐ生き方です
人は皆、生まれながらに罪を抱えているために
心の中にどうしようもない弱さ(欲)を持っていますから
まずはその弱さの元となっている罪から救われなくては
自分にとっても周りにとっても本当の平和は訪れません
そして、弱い人間を救うために
神ご自身が人間の姿で生れて下さったのがクリスマスです
今年もその時期を迎えるにあたり
今一度、十字架の血による救い(洗礼)の意味を思い出し
また、聖霊の知恵があるからこそ
この難しい世の中も何とか渡っていけることに感謝して
これからもどんな時にも希望を失わず
置かれたところで各々の務めを果たしていきましょう
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