今週のみことば
2月9日
「だれでもキリストにあるならば
その人は新しく造られた者である
古いものは過ぎ去った
見よ、すべてが新しくなったのである」
(コリント人への第二の手紙5章17節)
洗礼と聖霊を受け、”キリストにある者”とされたクリスチャンは
一度この世に死んで、新たに造られた者です
古い自分はすでに過ぎ去り
神の前に新しく生き直すべく
この地上にあって信仰生活を送っていくわけですが
滅びゆくこの肉体を持つ間は
肉体を持つがゆえの苦しみや欲との闘いがあり
”目に見えるものによらないで、信仰によって生きる”ことを
コリント人への第二の手紙5章は
1節から順次語っています
わたしたちの住んでいる「地上の幕屋」、すなわちこの「肉体」が滅びた後は
神からいただく建物(天国)が備えられており(1節)
この天の住処(キリスト)を上に着ることを望みながら
地上にあっては、なおまだ持っている肉体に悩まされながら生きています(2節)
もし、キリストを着たならば、もはや裸ではなく
肉体を持っているがゆえのサタンからの惑わしに対して
無防備ではなくなくなるのですが(3節)
すでに洗礼と聖霊を受けて
キリストを着ることができる者とされていても
この肉体の中に居るわたしたちは
それぞれ重荷を負って苦しんでいます
だからといって、その肉体を脱ごうというのではなく
(もうヤケになって人間をやめてしまおうというのではなく)
ただ、キリストを着て、神の助けを得て生きていきたい
こうして、死ぬべき体は、キリストによって生かされていくのです(4節)
そして
わたしたちがそのようになるべく救ってくださったのは神であり
その救いの保証として聖霊が与えられました(5節)
その約束があるからこそ、わたしたちは心強い一方で
この肉体に住んでいる間(地上で生きている間)は
神から離れた者として生きているのも事実です(6節)
今、神から離れているわたしたちには神の姿は見えません
世の中の人々は
目に見えるものを頼りとして生きていますが
わたしたちは目に見えないものを信じる信仰によって生きています(7節)
そして、その信仰がわたしたちを支えているがゆえに
早くこの肉体から離れて天国に行きたいものだとも切に願うのです(8節)
このように、キリストによる救いの保証を与えられている今
こうしてまだ肉体をもって生き続けるにしても
やがてそこから離れていくにしても
”主に喜ばれる者”となるのが心からの願いです(9節)
なぜなら、わたしたちはみな、キリストの裁きの座において
善であれ悪であれ、自分の行いに応じた報いを受けるようになるからです(10節)
4節には
「死ぬべきものがいのちにのまれる」と記されていますが
洗礼と聖霊による救いを受けた段階で
すでにこの死ぬべき肉体が、やがてあがなわれると約束されていても
それは肉体が滅びた死後のことだけではなく
まだこの世に生きている間でも
”己に死んで、キリストにあって生きる”ための努力が必要になること
そのために、各々に違う試練があって
古い考え方や価値観を捨てて
新しい神の価値観で生きることにより
”主に喜ばれる者”となることが大切なのだと教えています
「割礼のあるなしは問題ではなく
ただ、新しく造られることこそ、重要なのである」
(ガラテヤ人への手紙6章15節)
人は、自分が上手く生きれない時
それを環境や他人のせいにしがちではありますが
実際には、自分が間違っているからこそ生きにくい場合も多く
自分を過信しては失望している人も
最悪のシナリオばかり考えて絶望する人も
なぜ自分はそうなってしまうのか
その原因である考え方を改めるべく、古い自分から変わらなければ
この世にあって幸せにはなれません
「わたしたちは神の作品であって
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと
あらかじめ備えて下さったのである」
(エペソ人への手紙2章10節)
世の中では
人よりも勝った自分を求めることが主流ですが
神の価値観では
人と和らぎ、穏やかに生きることが重要です
また、”良い行い”といっても
人に見せるためのものではなく
良い人であることを自分に強いて、やがて偽善者になることのないように
自分が何者であるかを知ることも大切です
そして
洗礼と聖霊とによって救われたということは
こうしてキリストにあってその心が整えられていくように
色んなチャンスも与えられているのです
しかし
イエスの教えを聞き、学んでも、行動もしないままでは
古い自分から変わることはできません
「あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて
イエスにある真理をそのまま学んだはずである
すなわち、あなたがたは
以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て
心の深みまで新たにされて
真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」
(エペソ人への手紙4章21-24節)
救いにあずかってクリスチャンとなっても
なお多くの問題(試練)にさらされているのは
この肉体を持っているためです
それでも
どんな状況にあっても絶望することなく
色んな場面で、神の国を味わう体験をし
この滅び行く肉体を持ちつつ
その弱さと闘いながら
少しずつ古い自分から新しくなっていくために
わたしたちは信仰しています
上手くいかないからと
もうどうにでもなれとヤケになってはなりません
サタンの惑わしによっていよいよ絶望へと誘われないように
自らを惨めにする恨み事を言わず
自分はダメだと決めつけず
その先に望みを持って
前を向いて進んで行きましょう
古い自分を脱ぎ捨て、キリストを着た者は
裸ではなく
サタンの前に武装した者
これは、別の言い方をすれば
天国を身に付けた者、神をつかんだ者です
この競争社会の中でどう生きるのかといえば
わたしたちにできることは
神にあるからこそ自分が強くあろうとすることと
前進しようとすること
その後は、必ず神の後押しがあります
天国は死んで行くのみならず
生きていて味わうことができるのだということを
この身をもって証するのがクリスチャンです
色んな事はあっても
神にある人生は失敗に終わることはありません
神の言葉を正しく聞き
教えられるべきことを受け入れ
正すべきことを正し
ほめられれば喜んで、良いところはのばし
神の前に正直に、素直に、生きる者でありたいです
<目次