今週のみことば


2月23日


「不信者と、つり合わないくびきを共にするな
義と不義となんの係わりがあるか
光とやみとなんの交わりがあるか
キリストとべリアルとなんの調和があるか
信仰と不信仰となんの関係があるか
神の宮と偶像となんの一致があるか
わたしたちは、生ける神の宮である」
(コリント人への第二の手紙6章14-16節)



洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われたクリスチャンは
その時点から「神のくびき」を負うて生きるべき者とされました
人はみな何かに導かれて人生を歩んでおり
何に導かれているか(何を信じているか)によって
その人を拘束する「くびき」は異なるものです

「神のくびき」とは
イエスの愛に応える生き方を教えられるものであって
具体的には
喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を伴う生き方に導かれることが
ガラテヤ人への手紙5章に記されています

では、「神のくびき」を負う生活は何か厳しいものでしょうか
決してそうではありません
神はわたしたちの魂の成長のために
それぞれにふさわしい課題(試練)を与えますが
自分の通りたくない道に導かれた時
それはいかにも苦しそうだと思えても
そこにはちゃんと助けがあって
その体験を通して、神の働きを実感することができるのです

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう
わたしのくびきは負いやすく
わたしの荷は軽いからである」
(マタイによる福音書11章29-30節)


また、神から与えられる「くびき」は、人にとっての「十字架」でもあります
自分の望むような道が開けない場合や
病気や困難や不安で行き詰った時
「世のくびき」を負うて生きる人々は
もうダメだと絶望したり、ヤケになってしまいがちです
しかし
たとえ自分の計画通りに物事が進まなくても
それはそれで神のご計画だから良いのだと
自分の考えが絶対第一という思いを捨てて
「己に死ぬ」ことができるなら
そこから新たに神の助けを受け、命を得ることができるのです

「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない
自分の命を得ている者はそれを失い
わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」

マタイによる福音書10章38‐39節)

このように
「神のくびき」を負い
神に導かれ、神と共に生き
その結果、どんな事が起きても平安に生きることができる生き方は
堅くしめつけられて苦しいものではありません

ただし
まだ救われる前の自分の間違った考え方や価値観を持ち続け
不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などであっては
それはクリスチャンとはいえない生き方です
コリント人への第二の手紙6章には
信者と不信者との違いをはっきりさせ
「彼らと分離せよ」「汚れたものにふれてはならない」と記されていますが
では、クリスチャンは
クリスチャンでない人と交際してはいけないというのでしょうか?
この答えについては
コリント人への第一の手紙5章に以下のように記されています

「わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが
それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと
全然交際してはいけないと、言ったのではない
もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる」
(コリント人への第一の手紙5章9-10章)


この世の中には
神を信じることも、救いを受け入れることもなく
その行いも考え方も間違ったままの生き方をしている人々がどれほどいることでしょう
もしそういう人々と全く関わらずに生きて行こうとするなら
もはやクリスチャンは天国に行くしかないのです
ですから
「彼らと分離せよ」「汚れたものにふれてはならない」との言葉は
不信者に対してではなく
クリスチャンでありながら
その心の中に不品行、貪欲、略奪、偶像礼拝などを持ち続ける者に対して
そうしたものを取り除いていきなさいということです(11‐13節)

このように
キリストを信じ
その救いを受け入れ
キリストに習って生きるクリスチャンとしての生き方は
この世のくびきに従って
お金や名誉や権力を求め、ねたみや争いの中で生きていく
滅び行く道、闇への道を選んでいる人には
実に愚かと思えるものかもしれません

それでも
あらゆる困難の中で人を勇気づけ
実際に人に力を与え、知恵を与え、問題の解決にまで導くものは
神の言葉の他にはないのです

「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節))


昔は「世のくびき」を負うて闇の中に生きていた人が
今は救われて光の中に移されたなら
もう再び闇の中に戻ることなく
もしそういうものが心の中になお残るなら
自ら潔く決別していく努力が必要です

「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている
光の子らしく歩きなさい
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである」
(エペソ人への手紙5章8‐9節)


どんな問題に直面したとしても
そこでいよいよ心を神に向け
希望を持って祈っていくなら
知らないうちに神のくびきによって正しい道へと導かれ
自分がヤケになることもなく
平安を与えられて進むことができます

人はどうしても目先の問題に心が奪われてしまいますが
自分がするべきことをした後は
その先の結果については「神の領域」であるとして、おまかせしていきましょう

その時
必ずちょうど良い助けが与えられる
その体験の積み重ねこそが自信につながり
神と共にあれば大丈夫なのだとわかるようになります

何も特別なものは持たないわたしたちではあっても
各々に与えられているものを神は最大限に生かし
小さなものでも神に用いられれば大きくなって
問題にも対処できて行くのです

「あなたがたは急いで出るに及ばない
また、とんで行くにも及ばない
主はあなたがたの前に行き
イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ」
(イザヤ書52章12節)


前もって先のことはわからなくても
その時になれば必要な知恵と助けが必ず与えられます
焦らずあわてず
神のスピードに合わせて
無理なく歩んで行きましょう



<目次