今週のみことば
3月2日
「わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく
神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである」
(コリント人への第二の手紙10章3-4節)
この世に生きている限り
わたしたちはみな肉体を持ち
肉を持つがゆえの弱さも持ったままで生きています
救われてクリスチャンとなった者であっても
”肉にあって歩いている者”ではありますが
決してその心が世の中にとりこまれていくわけではありません
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい
あなたは、そのために召され
多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである」
(テモテへの第一の手紙6章12節)
この章においては
真理に背いて、信心を利得と考える人々や
金銭を愛し、信仰から迷い出ていく人々について記し
そのような誘惑とわなに陥らないように
「義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和を求めなさい」(11節)と教えています
「富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り」(9節)とあるように
足ることを学ばない生き方は
自分を果てしない欲望の中に追い込んでしまうもの
それが世の中の一般的な生き方ですが
そんな状態から、主イエスに従う健全な状態へと変わっていくために
わたしたちは日々「信仰の戦い」を戦っていくのです
世の中では
裕福な人や権力のある人に価値が置かれ
財力や権威が、この世を渡っていくための武器として尊重されます
これを「肉の武器」と呼び
それを頼っていくことが一般的であり
神の言葉が武器になるとか言われても
そんなことはばかばかしく思えてしまうでしょう
「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節))
どんな幸いな神の言葉であっても
信じない人には意味もわからず価値もありません
しかし
「肉の武器」を頼らなくても
神は信じる者に、何としてでも、どういうところからでも
必ず幸いな道へと導いて下さいます
これによって
神によって生かされている実感を持った人ほど強い者はありません
反対に、「肉の武器」は決して万能ではなく
その理由について
コリント人への第一の手紙1章19節には
「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」
と書いてあるように
人間の知恵が神に勝ることはないからです
「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら
あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである
また真理を知るであろう
そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」
(ヨハネによる福音書8章31-32節)
この世の中には
さまざまな人間のつくった「しがらみ」や「しきたり」があり
人々はそれらのうちに捕らわれて
不自由な生き方を強いられています
だからこそ
この世に生きる間は「肉にあって歩いてはいるが」
肉に従って、結果的に不自由な生き方をするのではなく
神にあって
神の武器を持ち
折に合う助けを得て
無駄のない、それでいて心ある生き方ができるように
本物の信仰を持っていかなくてはならないのです
何が正しいのか迷い、惑わしの多い世の中にあって
十字架の言葉を真理として受け止め
神の武器を持って日々の戦いに勝利をおさめつつ
幸いな人生をおくることができますように
日々祈っていきましょう
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