今週のみことば


3月9日


「あなたがたは、はたして信仰があるかどうか
自分で反省し、自分で吟味するがよい
それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを悟らないのか
もし悟らなければ
あなたがたは、にせものとして見捨てられる
しかしわたしたちは、自分が見捨てられた者ではないことを
知っていてもらいたい」
(コリント人への第二の手紙13章5-6節)


聖霊と洗礼を受けてクリスチャンになった者は
自分が”神にある者”として歩んでいるのかどうか
その信仰を自分に問いかける必要があります
その時には何よりもまず
自分の内に聖霊(=イエスご自身)が宿っている事を自覚し
聖霊に導かれて人生を歩むのだという気持ちが大切ですが
その一方で
この聖霊が宿っているからには
どのような立場におかれたとしても
決して自分は神から見捨てられた者ではないことも
知っておいてもらいたいのです

この聖霊が内側に与えられた証拠に
異言を語るようになるとあり
実際に教会では、通常ハレルヤと神を賛美してお祈りしながら
聖霊が下るのを待ち
ハレルヤの言葉が変わってくること、すなわち異言が出ることで
その人の内側に聖霊が宿ったことを確認するのです

「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに
それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった
割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは
異邦人にも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた
それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである」
(使徒行伝10章44-46節)


このように
聖霊が宿っているならば
すでにその人は”神にある者”であり
反対に、この聖霊がないならクリスチャンではありません

「しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら
あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである
もし、キリストの霊を持たない人がいるなら
その人はキリストのものではない
(ローマ人への手紙8章9節)


こうしてわたしたちの中に宿って下さったイエスご自身(=聖霊)は
決して弱いものではなく
わたしたちの中で強く働いて下さいます
人間として肉体をもったイエスご自身は
滅び行く弱い肉体も持ち
十字架上で血を流して死に至りましたが
その後、神(=イエス)の力によってよみがえったのです

「キリストはあなたがたに対して弱くはなく
あなたがたのうちにあって強い
すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが
神の力によって生きておられるのである」
(コリント人への第二の手紙13章3-4節)


わたしたちはこの世に生きている間
この弱い肉体と共に生きていても
その内に聖霊がある限り
人生のどんな戦いにも勝利する知恵と力を与えられます

歴代志下20章において
アンモン・モアブ・セイル山の連合軍に攻められたヨシャパテ王は
その危機の中で
何よりもまず神に祈ることを第一としています

彼は
「われわれはこのように攻めてくる大軍に当たる力がなく
またいかになすべきか知りません
ただ、あなたを仰ぎのぞむのみです」(12節)
と、神に祈っていますが
歴代志下17章によれば
当時、ヨシャパテ王の統治するユダは神に祝され
多くの富を持ち
記されているだけで合計116万人もの大勇士の大軍がいたのです

これに対して
アンモン・モアブ・セイル山の連合軍の人数は記されていませんが
116万人以上の大軍を持っていたヨシャパテ王が
”このように攻めてくる大軍に当たる力がない”ほど
劣勢であったとは思えません

つまりヨシャパテ王は
肉の武器よりもまず神の武器に寄り頼むことを第一としていましたから
自国の軍勢がどれほどいても
まず神の助けを乞うたのです

彼は神の限りない力を信じる者であるがゆえに
その神が常に自分の味方でいて下さらなければ
どんなに大軍を抱えていても負けると思っていたのでしょう

このヨシャパテ王の律義な信仰は
わたしたちが見習わなくてはならないところです
仮に、自分や近い人に多くの財産や地位、名誉があり
一見、神以外に頼りになりそうな存在があったとしても
常に頼るべきは神であることを
わたしたちは自覚しているでしょうか

神の命令に従って戦場に出ていったヨシャパテ王は
その時、民に向かって
”神を信じ、神の預言者を信じていけば戦いに勝利できる”と告げてから
兵士ではなく
聖なる飾り付けをつけた人々を先頭にして
敵の軍勢の前に進ませています

心から神を信頼する者をまず先頭におき
賛美の声と共に進軍する様子は
神の前にすべてをゆだねた姿ですから
神は彼らの信頼する心(信仰)を喜ばれ
その結果
彼らは全く戦うこともないうちに
敵は勝手に同士討ちをして滅びていきました

”信仰をもつ”ということは
何か堅ぐるしい生活をするというものではなく
人生に起こる、良い事も悪い事も
神にあってすべて受け入れていくことです
良い事はともかく
悪い事であってもそのまま受け入れるのは難しい事ですが
それでも神にあって受け入れていけば
悪い事も悪いままで終わることはありません
そこがとても不思議なところです

そういうわけで
信仰者は頑固にならず
柔軟で潔い生き方が必要になります
自分の力を過信せず
まず第一に神を崇める心を持っておれば
どんな戦いにも勝利できると信じていきましょう



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