今週のみことば
3月23日
「兄弟たちよ、あなたがたに、はっきり言っておく
わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない
わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく
ただイエス・キリストの啓示によったのである
ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については
あなたがたはすでによく聞いている
すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒らしまわっていた」
(ガラテヤ人への手紙1章11-13節))
「異なる福音」に揺れているガラテヤの教会の人々に対して
パウロは
かつての自分の姿を書き記し
どんなにかユダヤ教に対して熱心で
なおかつ、神の教会を迫害することにも熱心であったかを強調しながら
ある日突然、イエスに捕えられ
洗礼と聖霊のバプテスマを受けることで
全く自分が別人となり
あれほど熱心に迫害してきた神の教会を
今度は宣伝する立場になったこと
そして
彼の変貌ぶりを見て
イエスを信じるユダヤの諸教会の人々が
神をほめたたえたことを記しています
人が変わるのはとても難しい事で
しかも、ひとつの思想にこりかたまって
絶対に動きそうもない人が変わるとすれば
それは真の神の働きによるほかないのだと
ユダヤの諸教会の人々は確信したのです
こうして
パウロが懸命に伝えた「正しい福音」は
人からではなく、イエスから直接与えられたものでした
彼は自分の身に起きた「神の啓示」によって変えられ
そこに人の思いを入れることなく
そのまま伝えることを重視しています
ところが、ガラテヤの教会は問題が多く
そこには「異なる福音」が横行して
人々の心を乱していました
それをパウロは懸命に正そうとしているのです
このように
いくら「正しい福音」が伝えられても
そこに人間が勝手な律法(おきて)を持ち込めば
たちまち「異なる福音」へと化してしまいます
自分は救いを受けたクリスチャンだと自負していても
その信仰に自分で勝手な律法やルールを持ち込んで
結果的には、自分が主で、神が従であるかのような
歪んだ信仰を育てているかもしれません
わたしたちはキリストの僕(しもべ)です
自分も含めて、人の言葉(思い)に左右されるのではなく
あくまでも神の言葉に従うのが基本なのです
イエスに捕らわれ、洗礼と聖霊のバプテスマを受けて
福音を宣べ伝えることを決意したパウロは
その時「血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず」
要するに誰にも相談することなく出ていっています
彼が信頼したのは聖霊として自分の中に居て下さるイエス(=神)だけでした
それでも
多くの人は自分の思い描く理想通りに物事が運ぶことを求めています
だからこそ
上手く行かない時が「試みの時」とも言われるわけですが
上手く行っている時こそ「試みの時」であることも
忘れてはなりません
上手く行っている事について
神を忘れ
いつの間にか自分の栄光にしている場合も多いからです
そのため
人の計画はすべてが思い通りに進むわけではなく
神が主導であることを示すために
しばしば思いがけない事が起こります
イエスご自身が、様々な病人をいやす際にも
ある時はわざと遅れて出かけて
病人がすでに死んでしまった所へ到着し
そこから死人がよみがえっています
すべてのことは人の思いを超え
神の自由のうちに進められ
結果的には、信じる者にとってすべて幸いになっていく
人それぞれの信仰に見合った神の導きがあって
決して無理はさせられないように
各々できることをすればいいようになっていることに気づけたら幸いです
人の本質を見抜く神は
人が気づかない良いところを活かし
悪いところを正すように導いて下さいますから
自分で勝手に信仰のルールを作りだして
正しい福音を歪めていかないように気をつけたいものです
聖書のみことばは人生の道しるべ
人生は様々な戦いの連続ですが
神と共に戦いを通り過ぎることで人は成長し、進歩します
どうぞ希望を持って
正しい福音に従って歩んで行きましょう
<目次