今週のみことば


3月30日


「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく
ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて
わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである
それは、律法の行いによるのではなく
キリストを信じる信仰によって義とされるためである
なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである」
(ガラテヤ人への手紙2章15-16節)


割礼を主張する「異なる福音」に揺れているガラテヤの教会の人々に対して
パウロは
人が義とされる、すなわち救われるのは
旧約聖書に記された「律法の行い」によるのではなく
イエスを信じる信仰によるのだと何度も強調しています

そして
神と共に生きるために
キリストと共に十字架につけられ(19節)
その後はキリストがわたしの中で生きている(20節)
つまり
ヨハネによる福音書3章5節にあるように
「水と霊」すなわち洗礼と聖霊のバプテスマを受けて
神にあって新たに生れ変わり
聖霊として内側に宿って下さるイエスご自身の導きによって生きていく
それこそが、人が義とされるための道なのです

生まれながらのユダヤ人であるパウロは
人の義とされるのは律法によると信じてきましたが
ある日イエスに直接とらえられ
目が見えなくなったままアナニヤのところでバプテスマを受け
そこでイエスを信じる者として生まれ変わりました

救いを受ける前まで
厳しい律法の行いを実践してきたパウロは
その行く末についてこう記しています

「なぜなら、律法を行うことによっては
すべての人間は神の前に義とせられないからである
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」
(ローマ人への手紙3章20節)


旧約に記された律法は
良い行いや品性を教えるものであり
人が正しく生きていくためには大切なものですから
決してそれらをないがしろにせよというのではありません
むしろ
それにいよいよ近づきたいのです
しかし
残念ながら人は弱いので
律法を完全に守ることもできないし
そのたびに自分の弱さに失望するのみで
神の前に義とされるには至らないのでした

繰り返しますが
律法そのものは大切なものですが
イエスにあっては
それが救いの条件ではありません
もし人が律法の行いで救われるなら
イエスの十字架は無駄であったことになります

「もし義が律法によって得られるとすれば
キリストの死はむだであったことになる」

(ガラテヤ人への手紙2章21節)

こうして
自分の正しい行いによって救われようとする、いわば修行の道から
神の一方的な恵みによる救いの道が開かれ
わたしたちは自分の行いと引き換えではなく
神の無償の愛によって救われたのです

「こういうわけで、今やキリストにある者は罪に定められることがない
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は
罪と死との法則からあなたを解放したからである
律法が死により無力になっているためになし得なかった事を
神はなし遂げて下さった
すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし
肉において罪を罰せられたのである
これは律法の要求が
肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて満たされるためである
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い
霊に従う者は霊のことを思うからである
肉の思いは死であるが
霊の思いは、いのちと平安とである」
(ローマ人への手紙8章1-7節)


人間が正しく生きるための律法があっても
人はその弱さゆえにそこに至れないでいたところ
神は、ご自身が肉体をもって人の様で生れ
その肉体をもって十字架にかかって罪をあがなって下さった
こうして
その流された血によるバプテスマを受けることで
人は罪の法則から解放され
人の頑張りでは達成できない律法の要求さえも
神の導きと力によって近づいていく者とされたのです

なぜなら
洗礼と聖霊のバプテスマを受けた者は
すでにこの世に一度死んで
神にある者として生まれ変わった者です
そうなる前までは
この世の習慣、あるいは家に伝わる教え、また人が勝手につくる価値観に従い
何かあれば右往左往し
目に見えるお金や名誉を頼りとする
不安な生き方をしてきました
しかし
「肉の思い(人の思い)」から抜け出して
「霊の思い(神の思い)」に心が向くようになれば
思考が死から命へと向かい
本当の平安が与えられていくのです

ただ、この世にはサタンがいますから
救われた者であっても
心がしっかり神に向いていなければ
サタンによって惑わされ、心が揺れて、不安に陥ってしまいます

信仰の道にも
自分で勝手に律法を作り
自ら修行のような生き方をして
苦しい道にはまっていくかもしれません

明日は復活祭です
何のために神であるイエスご自身が人となり
十字架にかかって血を流し
死んで三日目によみがえったのかを思い起こし
わたしたちひとりひとり
どのような状態から救われてきたのか
その原点に返って
感謝の気持ちを新たにしたいと思います

もし仮に、今の自分があるのは自分の頑張りによるのだと思うなら
その人は注意しなければなりません

「だから、立っていると思う者は
倒れないように気をつけるがよい」
(コリント人への第一の手紙10章12節)


わたしたちの心の中にあるものが
自分の誇りであったり
神以外の思いであるなら
それらが偶像となって自分を支配するようになります

信仰歴の長い短いによらず
心に抱える間違いから離れるように
心新たにされる日として
復活祭を迎えてまいりましょう



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