今週のみことば


4月6日


「そののちイエスはテベリヤの海辺で、ご自身をまた弟子たちにあらわされた
そのあらわされた次第はこうである
シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル
ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである
シモン・ペテロは彼らに『わたしは漁に行くのだ』と言うと
彼らは『わたしたちも一緒に行こう』と言った
彼らは出て行って舟に乗った
しかし、その夜はなんの獲物もなかった
夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた
しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった
イエスは彼らに言われた
『子たちよ、何か食べるものがあるか』
彼らは『ありません』と答えた
すると、イエスは彼らに言われた
『舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば何かとれるだろう』
彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに『あれは主だ』と言った
シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため
上着をまとって海に飛び込んだ」
(ヨハネによる福音書21章1-7節)


復活後のイエスの姿が現されたのは
これで3回目になりますが
以前その姿を見ていたはずの弟子たちは
岸に立っている人がイエスだとはわからなかったとあります
そして、その前に一晩中漁をしても何も釣れなかったというのに
それでも彼らは
イエスの言葉に対して素直に従い、網をおろしました
その結果、多くの魚を得ることとなるのですが
同じような記述が
ルカによる福音書5章にも記されています

この時点では
ペテロたちはまだ弟子になる前でした
そして、同じように一晩中漁をしても何も得られなかった時
『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』との言葉を聞いて
『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした
しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』と言って従ったのです
そして、この時も、舟が沈みそうになるほど魚がとれました

このように、イエスのみ言葉に従うことの幸いを
イエスご自身が何度も証をもって示され
なおかつ
「従う」時の究極の姿が
マルコによる福音書14章のゲッセマネでの祈りに現されています

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません
どうか、この杯をわたしから取りのけてください
しかし、わたしの思いではなく
みこころのままになさってください」(36節)


十字架にかかるという大変な苦痛に対して
人間であればそれを避けたいと思うのは当然のことです
人が苦しい時にどう思うのか、どう願うのかを
神であるイエスご自身がこうして自らの事として語り
その上で、神のみこころに従っていく決意を示しているのです

それは
神は絶対に良くして下さるとの信頼に基づく信仰によるものであり
目の前がどんなに絶望的な状況でも
希望をもって神にゆだねていく生き方の見本です

信じる者を決して捨て置かない神は
人の思いを超えた方法をもって
事態を大きく変えて下さいます
神は確かに生きて働いて下さることを示すために
これからどんなことが起こるのか
それは人にはわかりません

花が時に従って咲く一方で
人は自分の思いに従って時を逃してしまいがちです
自分の思い描く人生設計に固執することなく
神によって開かれた道を進み
その心に神を忘れず
なされた事に対する感謝を忘れず
素直な心で従って行きましょう



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